美にして崇高なるもの

ドストエフスキー地下室の手記』読んでたらまたバスタへの影響を感じてしまった。オレ本とか漫画読んでて気になった表現あったらポストイットぺたぺた貼っとくんだけど(後で探し易くするため)、コレ第一部の途中からイイとこ多すぎて選べない。全部!ってかんじ。
なんか、正常な人間が理性でもって自然科学を解明していったらば自分の不利益になることなど選択せず、幸福とか富とか自由とか平穏とかの方向へ進んでいけるはずなのに、時として寧ろ下らない愚劣なことに熱中し苦痛を愛するような行為に走るのはどういったわけか、みたいな、そーいうの最近よく考えるのでハマリまくり。
そーいやバスタ関係でそんなんあったよーなーと『HAQ本』を見ても探せない、ので「萩TのQ&A」ページ()で「ドストエフスキー」で検索かけたら一発で出てきた。便利ね〜。

Question
エウロペアの十賢者は、今起こっている事態をどれだけ把握してるんでしょうか? 季刊のジャンプに乗っていた十賢者の回想の話のときは、悪魔の存在なんかも十分把握していたみたいですが、その話が単行本掲載のときには削除されていたので、その辺がよくわからなくなってしまいました。 悪魔コンロンも、なんか人間の科学を利用していたみたいなことを言っていたので、もしかしたら十賢者は悪魔に利用されていただけなのかなというきもしています。僕としては、十賢者にはドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に出てくる大審問官や、映画「アマデウス」に出てくるアントニオ=サリエリの”神に対抗するもの”の気概を感じています。
Answer
うおーそーですー、そのラインですー。今はこれ以上は〜………。

これか。そういえば前にバスタっぽ、と挙げた三島由紀夫『美しい星』も『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の場面の影響が見受けられる、なんて評されていたような……。俄然興味が沸いてきた。『アマデウス』はサントラCD(3枚組!)持ってるけど映画は見た憶えあったかな?見たい。どーでもいいけど「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」って響き超かっこいい。脈絡なく覚えられる名前ってスゴイ。ポリノーク・サマーンみたいな←Zガンダムモビルスーツ。ね。
あーあと『地下室の手記』第二部はまた別な意味でキた。

「(略)愛は、神のみが知る秘密でね、たとえ何が起ころうと、他人の目からはかくしておかなければならないものなんだ。そうすることで、愛はいっそう神聖な、すばらしいものになる。おたがいへの尊敬も増してくる。(略)」
「なんだか、あなたは……まるで本を読んでるみたいで」彼女はこうつぶやいた。そして、その声にはまたしても何やら嘲笑に似た調子が聞えた。

「そうさ、きみが、きみ一人が、このいっさいに責任をとるべきなんだ。なぜって、きみがぼくの前にふらふらと現れたことがいけないんだから。ぼくがならず者だってことが、ぼくがいちばん醜悪な、いちばん滑稽な、いちばんつまらない、いちばん愚劣な、この世のなかのどんな虫けらよりも、いちばん嫉妬ぶかい虫けらだってことがいけないんだから。そりゃ、そんな虫けらだって、ぼくよりすこしもましなことはないさ。でも、やつらは、どうしてだか知らないが、けっしてどぎまぎしたりはしない。ところがぼくは生涯、そんなしらみ同然のやつらからこづきまわされどおしなんだ。これがぼくの特性ときているんだ!」

ところで、ひとつ現実に帰って、ぼくから一つ無用な質問を提出することにしたい。安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか? というわけだ。さあ、どちらがいい?

ところで他人のブログで長い引用なんてあっても殆ど読まないよな。うをっ!うをっ!