志村貴子祭

代替文
放浪息子④』『ラヴ・バズ③』同時発売。2冊とも半端な値段なのが一緒に買うと1200円と整うのは気持ちいいな。書籍コードと雑誌コードの違いで並ぶ日ズレた書店も多いようだが、出版社を超えての合同企画ってワクワクする。ビーム・アワーズ各雑誌広告にも使われて胸躍ったシュウちゃん&かおるちんイラストが帯にも載ったのは嬉しい限り。デザインを変えてるのはそれぞれの意図だろうけど絵が白ヌキで浮き上がる放浪の方が好きかなあ。チラシとかポストカードとかにもしてオマケしてあったら良かったのに。そーいや関係ないけどコミトレ働きマン①②巻並べて平積みしてあるのだが、ソレ囲んでるボックスに単行本にない絵があるんだよなあ(多分雑誌用か何か使い回しだろうけど)。頼めばもらえるかなあ。前バスタードのポスターもらったことあるんだけど。出版社に咎められるんだろうか(転売防止とかで)。
あ、そんなわけで→は高槻くん&ゆりちんで描いてみた。デッサンズレータ。色んな組み合わせ描きたい。貴子ちゃんカラー上手ぇよなあー。
さて。志村貴子作品は自分の中で、ストーリーは勿論なのだがそれでなくともワンカット(絵)なりワンシーン(ネーム)なり単独でも楽しめるなあーと改めて思った。テンポいいリズムある口語調の(?説明的でない)セリフ回しとか、強い魅力感じる。最近ポツポツ小説とか読んでると、なるほど名文てのは内容は置いといて文章そのものの面白さってのもあるんだなあ(韻文的に楽しめるというか)という感想を抱くことも多いのだが(当然両立してる人もいる)ソレに近い感じ。だからこそか、志村作品て淡々と日常を描くトコ多いだけに、ある程度ドコで終わっても納得できそう。『敷居の住人』もそんな感じあったし。放浪4巻もココで終了でも不思議じゃなかったかも。全体的に「色々あるけど生きてます」って感じ。『どうにかなる日々』(短編オムニバス)なんかタイトルにも表れてるけど。
なる日々といえば、これまた地味ながらに響くトコ多いのだが、2巻最後に収録されてる弁当屋パート藤岡さんの話はラストにふさわしくホットする結末を見せてくれる。〈いつも誰かを傷つける 誰とも話すのをやめてしまおうか そうして傷つけることも傷つくことも (馬鹿馬鹿しいなそれも)〉そんな彼女が「いいな藤岡さんみたいなお母さん」「小坂くんもたまには実家に帰ったら?」「お母さんとして好きなんじゃないよ………」とかなんとかあって(この後の照れ顔がかわいいったら)〈しまった いろんなことが乗りこえられそうって思っちゃった〉末に〈大丈夫 絶対大丈夫……〉と至るのは泣きそうですらある。
志村さんて一見ネガティブにとられそうな感じもあるけど(そんなことないかな)実はすごくポジティブなんじゃないかと思うんだよなあ。それはデビュー作『ぼくは、おんなのこ』から通じてて(ちなみに自分は短編集で初めて読んだんですが)、そこでもスッタモンダの末、無責任なオジさん(ノストラダムス)の言ったことより自分達の〈そうだ――予言してしまおう どうってことはない 勝手に決めてしまえばいい―― ぼくらの未来は明るい〉という言葉に至る様が描かれてる。未来は僕等の手の中っつーんですか。ブルーハーツ的・ブランキー的な感性とか言っちゃ乱暴か。クソッタレな世の中だけど死ぬまで生きてやるぜピース!ってかんじ。極私的な感覚だけど、多田由美とかTAGROの『マフィアとルアー』収録短編(特に表題作)にも近い感触ある。マフィル冒頭に描かれる「本当の空がある」の看板が表してるけど、最後に美しい空が開けている(この辺に関しては「ひとりで勝手にマンガ夜話」の記事がいい→放浪息子についての文章も→)というか、空はいつでも開けているがそれに気付けるかは自分次第みたいな。
うわっ!長っ!放浪・バズそれぞれについては改めて・・・書けたらイイナ(マイメロ風)。