三島由紀夫『真夏の死』

『翼』

東京の空がそれほど青く、星空があれほど澄明であったのは、生産不振によって都会の煤煙が減少を見たからであるが、そればかりではなく、戦争末期の自然の美しさには、死者の精霊たちの見えざる助力がはたらいているのではないかと思われるふしがあった。自然は死の肥料によって美しさを増す。戦争末期の空があれほど青く澄んでいたのは、墓地の緑があれほどにあざやかなのと同断の理由によるのではなかろうか?

『真夏の死』

彼ほどの手腕も生活力もある男が、こういう不幸に参っている図は、人の嫉妬を減殺する効能があるのみならず、強者の弱点というロマネスクな魅力をも成立たせる筈である。
妻の悲しみ方に特権的なものを感じると、彼は反撥して呑みに出かけて遅くかえったが、どこの酒も美味しく思われず、自分の内部にこれほど覿面な証人のあることが、いつも彼の良心に安堵を与えた。酔わない酒を無暗に呑むことには、克己的な快楽があったのである。