アレクサンドル・デュマ『黒いチューリップ』

偉大な功績を果す偉大な人物が神のみ手のもとに都合よくあらわれるということは、まれである。だからこそたまたまこのような神の摂理の結びつきがあったような場合には歴史には即座に、この選ばれた偉人の名を記録して後世の人々の称賛に浴させるのである。これとは逆に一人物を破滅させたり、一国をくつがえしたりするために、悪魔が人間の所業の糸をあやつるときには、耳もとに吹きこまれた一言で、ただちに仕事にとりかかる、陰惨な人間がすぐその手近に居合わせないこともまずはまれである。

「行為の善悪は意思の善悪による。きみはわれわれを救おうと思ってくれた。それだけで神の目には、きみがやり遂げたと映るだろう」

運命の力が悪い仕事をなしとげようとするときは、剣豪が相手に受けの構えをする余裕を与えるように、必ず予告をあたえる程度には寛大なものである。ほとんどいつでも、こうした警告は人間の本能、または生命をもたぬ物質の手助け、世間の人が信じている以上に生命をもたぬ物質の手助け、それによって感じとられるものである。だがその警告は、たいてい無視されるのがおちである。運命の剣の一撃は空中でひゅっと唸りをたてる。それが予告しているのは頭上の一撃である。それを聞いたものは直ちに予防しなければならぬのである。