ルドルフ・シュタイナー『神秘学概論』

言語の中には、その本質上、他のすべてのことばから区別されうるようなことばが、ひとつだけ存在する。それは「私」(自我)ということばである。他のどんなことばも、対応する存在に対して、いつでも使うことができる。しかし「私」という言葉をある存在に対して使うことができるのは、この存在がこの言葉を自分に向けるときだけである。外から「私」という言葉が、ある人の耳に、その人の呼び名として聞こえてくることは、決してない。その人だけが、この言葉を自分に向けて使うことができる。「私は、私にとってのみ、一個の『私』である。すべての他者にとって、私は一個の『汝』である。そしてすべての他者は、私にとって一個の『汝』である」

高次の諸世界へ至ろうとする人は、修行を通して、以下の諸特性を身につけなければならない。特に必要なのは、魂が思考と意志と感情を支配することである。魂のこの支配能力を行によって獲得する方法は、二つの目標に向けられている。第一に、第二の自我が魂の中に生じたときにも、不動心、信頼感、公平さを失わぬように、これらの特性を魂にしっかりと刻みつけておくこと。第二の目標は、この第二の自我に強さと内なる支えとを付与することである。
霊的修行者の思考にとって、何よりも大切なのは、事実に即した態度である。物質的、感覚的な世界においては、人生そのものが事実に即するようにと、自我を戒めている。魂が勝手に思考にふけろうとしたら、人生そのものが、軌道を修正してくれる。そうしないと、まともな人生が送れなくなるからである。魂は、人生に応じた考え方をするようにうながされる。

深く共感し共苦することが大切なのだが、その際感じたことを、思わず外にあらわして、無分別な態度をとるようであってはならない。当然の苦しみを抑えるのではなく、泣かないようにする。悪行を嫌悪しないのではなく、怒りの発作を防ぐ。危機に無関心になるのではなく、無駄な恐怖心を抑える、等々である。