村上龍『半島を出よ』

貧乏な人間や貧乏な国家は、たいてい周囲から嫌われる。まして、そいつがひねくれていたりすればなおさらだ。
それは、貧乏でひねくれているやつは、たいてい自分をコントロールできないからだ。すぐに怒りだして、切れて、暴力をふるったり、自分の手首を切る真似をしたり、実際に手首を切ったりする。

突然啓示に打たれたようにイシハラは語り始めるのだった。ぼくちゃんはもうオナニーをやめた。と思ったら、朝起きて気がつくとオナニーをしていた。それが真実さ。テロもすばらしいし、殺人だってすばらしいけど、戦争はダメだ。それは戦争が多数派のものだからだ。少数では戦争に負ける。戦争をしたがるのは多数派しかいない。多数派は必ず少数派をいじめるし無視する。ぼくちゃんは痛いのが嫌いだから、できればテロとか暴力とか殺人とかはないほうがいいけど、少数派はテロや殺人や暴力をどうしても必要とするときがある。痛いのは嫌いだけどそれより嫌いなのがモジョリティというやつなの。モジョリティは多数派と訳されるけど、本当はみんなも知ってる通り、マジョリティ。メジョリティでもないし、モジョリティ。この世の中で最悪なのはモジョリティで、それは村も町も国もモジョリティの利益を優先させるから。国家はモジョリティを守るという必要性に迫られて生まれたんだよ。この国では多数派から遠くは慣れるのが本当にむずかしい。ぼくちゃんやノブチンはずっとモジョリティから無視されてきたし、それは心の傷かはるか三百マイルに達しているけど、最初から多数派に入れなかったぼくちゃんはラッキーだったというべきだし、ラッキーはウンコではなくて運だ。このことだけは何度でも言うし、大事なことだから一度しか言わないけど、多数派に入っちゃだめよ。多数派に入るくらいだったら人を殺したほうがモアベターよ。

共有感覚のエキスというのはどこかにふわふわと浮かんでいるんだ。イシハラはそう言った。それはとても弱々しくて、とても頼りなくて、とても曖昧なものなんだ。あの紙の舟のようなものだろうか。モリはからだの中心から温かさが広がっていくような、不思議な気分になった。共有する感覚というのは静かなものなんだ、モリはそう思った。みんな一緒なんだと思い込むことでも、同じ行動をとることでもない。手をつなぎ合うことでもない。それは弱々しく頼りなく曖昧で今にも消えそうな光を、誰かとともに見つめることなのだ。