三島由紀夫『剣』『夜の支度』

『剣』

『あいつはもともとそんな奴じゃなかった。あいつは俺をさえ警戒し、俺の自然な感じ方を、「誤解」と思うようになったんだ。それで手前は、「誤解に囲まれて生きるのは仕方がない」と思い込んでやがる。そういう傲慢は許さんぞ。友達は「誤解」なんかしないのだ』

なぜ外部に社会はスポーツのように透明でなく、スポーツのように美しくないのだろう!ばぜそこでは誰の目にも明らかな勝負だけで片がつかないのだろう。スポーツマンのすべてが持つこの怨恨を、彼は一種の詩に育てるまでに、年月をかけたのだ。
なぜ、……なぜ、この無益な問を重ねるたびに、ますます美しくなるスポーツと青春。世間の汚泥と対比されるたびごとに、ますます美しくなるスポーツの神聖な泥。

「又かというだろうが」と木内は、肱掛椅子に身を埋めたまま、両手で手拭を絞るような所作をしながら、「剣は結局、手の内にはじまって手の内に終るな。俺が三十五年、剣道から学んだことはそれだけだった。人間が本当に学んで会得することというのは、一生にたった一つ、どんな小さいことでもいい。たった一つあればいいんだ。
この手の内一つで、あんな竹細工のヤワな刀が、本当に生きもし、死にもする。これは実にふしぎな面白いことだ。しかし一面から見れば、地球を廻転させる秘法を会得したのも同じことだ、と俺は思うんだよ」

『夜の支度』

「どこへ行くの?」
「もう寝るの」
ふと大人たちも亦『眠たさ』に目覚めた。整理のつかない各々の気持のために、この眠たさは恰好な口実であったからだ。

「では、嘘なのね」
これは籤の言葉だった。夫人は試しに、当てずっぽうに言ってみたにすぎなかった。ところが直感が後から走り寄って、それに追い附いた。
いつも夫人の上に起るのと反対の順序で事が起ったのである。直感が後手になったのだ。直感が突然、雷のように目の前に落ちてきて、身を避ける余裕も与えなかった。
頼子がしずかに啜り泣きはじめた。
この場合、怒りよりも憎しみよりも前に先ず反省が夫人を訪れたのは当然の順序というべきである。余裕は反省を絞め殺してしまうものだが、この場合はいつものように余裕を伴った直感ではなかったからだ。その余裕あるがために万事がつまずかずに行くのだと信じていた夫人が、余裕なくして却ってうまく行くか否かの実験を迫られているのであった。しかも「万事がつまずかずにゆく」という自信と矜りは、余裕を前提とするしないにかかわらず、実は娘に対する鋭い直感の作用そのものから発しているものだったので、それをつまずかせぬようにすることは、今や夫人自身の倫理的な要求に他ならなかった。それだけにその微妙な操作にましてあやまりやすいものはない。安全第一を考えた夫人は、ひたすら、計算してはいけない、辻褄を合せようと構えてはならない、とお念仏のように称えながら着手するに相違ない。だが、いつもの浅墓な計算――余裕という不正確な物差を使った身勝手な計算ーーおちがって、今ほど夫人に、正確にして神速の計算が必要だったことはなかったのである。