安部公房『砂の女』

女の話題は、範囲が狭い。しかし、いったん自分の生活の圏内に入ると、たちまち見ちがえるほど活気をおびて来る。それはまた、女の心にたどりつく通路でもあるのだろう。べつに、その道に、とくにひかれたわけでもなかったが、女の言葉は、厚いモンペの生地の下にかくされた、その肉体を感じさせるほどのはずみを持っていた。

うつぶせになった、裸の女の、後ろ姿は、ひどくみだらで、けものじみていた。子宮をつかんで、裏返しににでも出来そうだ。だが、そう思ったとたんに、ひどい屈辱に息をつまらせた。遠からず、女をさいなむ刑吏になりはてた自分の姿が、まだらに砂をまぶした女の尻の上に、映り出されるような気がしたのだ。分っている……いずれはそうなるのだ……そして、その日に、おまえの発言権は失われる……
ふいに突きさすような痛みが、下腹をえぐった。はちきれそうになった膀胱が、耳の奥までとどいて、鳴っていた。

牛の喉に、ブリキの笛をおしこんだような音をたてて、何処かでにわとりが鳴いた。しかし、砂のくぼみの中には、距離も方角もない。ただ、ここの外には、道端で子供が石けりをして遊んでいても一向に不似合いでないような、いつものとおりの世界があり、時がくれば普通どおりに夜が明けることを告げていた。そう言えば、米の炊けるにおいにも、夜明けの色がまじりかけている。

風景がなければ、せめて風景画でも見たいというのが、人情というものだろう。だから、風景画は自然の稀薄な地方で発達し、新聞は、人間のつながりが薄くなった産業地帯で発達したと、何かの本で呼んだことがある。

二十歳の男は、観念で発情する。四十歳の男は皮膚の表面で発情する。しかし三十男は輪郭だけになった女が、いちばん危険なのだ……

欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実は、うっかり手もふれられない、あぶなっかしいガラス細工になってしまう……要するに、日常とは、そんなものなのだ……だから誰もが、無意味を承知で、わが家にコンパスの中心をすえるのである。

女は顎をつきだしてあえいだ。手拭は、女の唾液と口臭で、鼠の死骸のようにずっしりと重い。

一とまず、納得すると、なにはさておき、まずタバコだ。一週間、よくも辛抱できたものだと思う。なれた手つきで、ラベルのわきを、四角く破ってむしりとる。すべすべした蝋紙の感触。底を指ではじいて、叩きだす。つまむ指先が、小刻みにふるえる。ランプの焔で、火をつける。深々と、ゆっくり、胸いっぱいに吸いこむと、落葉の香りが、血管の隅々にまでしみわたった。唇がしびれ、瞼の裏側に、ずっしりとしたビロードの幕がたれた。しめつけられるような眩暈に、総毛立った。