ドストエフスキー『未成年』

もしかしたら、こんなものを書きだしたことが、大きな失策かもしれない。言葉にあらわれるものよりも、心の中にのこっちるもののほうがはるかに多いのである。あなた方の考えというものは、たといそれがつまらないものでも、あなた方の内部にあるあいだはーー常に深いが、言葉に出ると――いくぶん滑稽な、真味のうすいものとなる。忌まわしい人間にかぎってまるでその反対なことがある、とヴェルシーロフがわたしに言った。彼らはうそばかりついているから、どうってことはないのだ。だがわたしは真実のみを書こうとつとめている。これはおそろしくむずかしいことだ!

わたしはいくらか不安を感じていた。いうまでもなく、わたしは、それがそんな集まりであるにせよ、およそ人の集まりというものに慣れていなかった。わたしは中学のころ学友たちときみぼくの親しい口はきいたが、ほとんど親しい友はもたず、自分で小さな片隅をつくって、その中で暮らしていた。しかしわたしを不安にしたのはそれではなかった。わたしは、いかなる場合も、議論には加わらず、必要最小限なことしか言わず、誰にもわつぃという人間についていかなる結論も下されぬようにすること、と自分に誓っていたのである。要はーー議論しないこと、これがわたしのモットーであった。

「ぼくは、誰でも自分の感情をもつ権利があると思うんです……もし信念から生まれたものなら……誰にも文句を言われることなしにです」とわたしはワーシンにむかって言った。わたしは勢いこんでこう言ってのけたが、まるでわたしではなく、。口の中で他人の舌が動いたような感じだった。

「もしぼくがピストルをもっていたら、どこかへかくして鍵をかけておくでしょうね。ねえ、まったく、誘惑的じゃありませんか!ぼくは、おそらく、流行性自殺病なんてものは信じないでしょうが、しかしこいつが目先にちらつくと――たしかに、ふらふらと誘いこまれるような瞬間がありますね」
「そんな話はしないでください」と言うと、彼は不意に立ち上がった。
「自分のことじゃありませんよ」とわたしは立ち上がりながら、つけくわえた、「ぼくがそんなものをつかうものですか、三度生命をあたえられてもーーまだ足りないくらいです」
「長く生きなさい」うっかり口をすべらせたような、彼の言葉だった。
彼はとりとめのない笑いをもらした、そして奇妙なことに、まるで自分のほうからわたしを送りだそうとするように、もちろん、自分ではなにをしているのか気づかないで、つかつかと玄関のほうへ歩きだした。
「成功を祈ります、クラフトさん」と、もう表階段へ出てから、わたしは言った。
「それはなんとも言えません」と彼はしっかりした声で答えた。
「また会いましょう!」
「それもなんとも言えませんね」
わたしはわたしを見た彼の最後の目を忘れることができない。

そう、わたしは陰気な男である。わたしはいつも自分の殻にとじこもっている。わたしはしょっちゅう社会から脱け出したいと思っている。わたしは、おそらく、人々に善をなすことになろうが、しかし彼らに善をなさねばならぬこれっぽっちの理由も見出せない場合が多いのである。おまけに人々は、それほど気をつかってやらねばならぬほど、決して美しいものではない。どうして彼らのほうから率直に、胸を開いて、助けを求めに近づいてこないのに、どうしてこっちから先に、彼らのそばへ這いよってゆかなければならないのだ?わたしが自分に問いたいのはこのことである。わたしは恩を知る男である、これはもう数知れぬばかげた行為で証明してきた。わたしは胸を開かれるとすぐに胸を開いて応えて、たちまち相手を好きになるような男なのである。そのとおりにわたしはしてきた。ところが彼らはどれもこれもじきにわたしを欺して、嘲笑いながらわたしから逃げてしまった。

「ほう!じゃきみもときどき、考えがうまく言葉にならない苦しみを味わっているんだな!これは高尚な苦しみだよ、きみ、しかも選ばれた者にのみあたえられるものだ。愚か者は常に自分の言ったことに満足し、しかも必要以上にしゃべる。選ばれた者は貯えを愛するものだ」

たしかに、彼はわたしよりも常識的ではあったが、しかし現実的であるとはたして言えるか。自分の鼻の先までしか見えない現実主義は、もっとも愚かしい夢想よりも危険である、なぜなら盲目に等しいからだ。

彼はこれまでにあのような目でわたしをにらんだことは一度もなかった。『ついに彼は真剣にぼくを見たぞ!』と思うと、わたしは胸がじーんとなった。おお、もしわたしが彼を愛していなかったら、彼の憎悪をこれほど喜びはしなかったろう!

「人々をあるがままの姿で愛するということは、できないことだよ。しかし、しなければならないことだ。だから、自分の気持ちを殺して、鼻をつまみ、目をつぶって(これが特に必要なのだが)、人々に善行をしてやることだ。人々から悪いことをされても、できるだけ腹をたてずに、『彼も人間なのだ』ということを思い出して、こらえることだよ。もし中程度よりもごくわずかでも聡明な頭脳を天からあたえられていれば、きみは人々にきびしい態度をとるように使命づけられていることは、言うまでもないことだ。だいたい普通の人間というものは生来低俗なもので、恐ろしいから愛するという傾きがある。このような愛に屈してはならない、このような愛を軽蔑することをやめてはならない。コーランのどこかでアラーが予言者に、『従順ならざる者たち』をねずみくらいに考えて、善をほどこしてやり、さりげなく通りすぎるがよい、と教えている。これはすこし傲慢だが、しかし正しいことだ。彼がよいことをしたときでも、軽蔑できるようになることだ、というのはそのようなときこそ彼らはもっとも醜さも出すからだ。いや、アルカージイ、これはわしが自分から推して言ったのだよ!ほんのちょっぴりでもばかでない者は、自分をさげすまずには生きていられないものだよ、正直であろうとなかろうと――それは同じことだ。隣人を愛して、しかも軽蔑しないーーこれはできないことだよ。わしに言わせれば、人間というものは隣人を愛するということが生理的にできないように創られているんだよ。ここにそもそものはじめから言葉になにかのまちがいがあるのだ、だから『人間に対する愛』という言葉は、きみ自身が自分の心の中につくり上げた人類だけに対する愛(言葉をかえて言えば、自分自身をつくり上げたということになるから、自分自身に対する愛ということになるのだが)、したがって決して実際に存在することのない愛と解釈すべきだよ」

わたしはモスクワの婦人をもちだして、『あなたと同じくらいに美しいひとでした』と言ったとき、ひとつ巧妙なてをつかった。それが無意識に口から出たもので、そう言ったことに自分でも気がついていないようなふりをしたのである。このような『無意識に口からもれた』賛辞が、どのようにみがきあげられたお世辞よりも、女によって高く評価されるものであることを、わたしはちゃんと心得ていたのである。そしてアンナ・アンドレーエヴナがどんなに真っ赤になっても、それが嬉しさのためであることも、わたしは知っていた。しかもこの婦人はわつぃの創作だった。わたしはモスクワでそんな婦人など一人も知らなかった。わたしはただアンナ・アンドレーエヴナを賞讃して、喜ばせてやりたかっただけである。

「それなんですよ、お母さん、肉親の愛ってものは、苦労して得られたものでないから、だから背徳なんですよ。愛というものは労してかちとられるべきものなのです」
「まあね、かちとるまで、せいぜいここでただで愛されることだね」
みんなが急に笑いだした。
「へえ、お母さん、あなたは鉄砲を撃つ気もなかたtらしいのに、みごとに鳥をおとしましたね!」と叫んで、わつぃもにやにや笑った。
「おや、あんたは、愛される理由があるなんて、本気で考えていたのかい」とタチヤナ・パーヴロヴナがまたかみついた、「あきれたよ、あんたなんかただで愛sれるどころか、この人たちはいやいやながら愛してるのさ!」

明らかに、彼らもわたしにしつこく訊いたり、特に関心を示したりしないように心がけていたらしく、あたしとはまるでよそごとしか話さなかった。これがわたしにはありがたかったが、同時に悲しくもあった。この矛盾は説明するまでもあるまい。

リーザはしだいに、彼が公爵に寛容な態度をとっているのは、彼にとってはすべてが同じようで、『相違が存在しない』という理由からだけで、決して彼女に対する同情からではない、と思うようになっていった。」しかもそのうちに、彼はどういうものか目に見えてその冷静さを失って、公爵に対して非難めいたことを言うばかりか、侮蔑的な皮肉をsびせるようになった。これはリーザを憤慨させたが、ワーシンはいっこうにやめようとしなかった。要するに、彼はいつも実にやわらかな言いまわしを用いて、語気するどく非難するようなことはしないで、ただ論理的に彼女の愛人の人間的な愚劣さを立証するだけだが、その論理のすすめ方の中に皮肉がふくめられていた。ついに、ほとんど真っ向から、彼女の愛の『盲目性』と、この愛の頑迷な暴虐性をあますところなく彼女のまえに論証した。『あなたは自分の感情の中で迷っています。迷誤は、ひとたび自覚されたら、必ず訂正されなければなりません』

「ねえ、そこには別になにもありません、ディケンズのこの絵は、ただそれだけのものです、ところがこれが永遠に忘れられないのです、そしてこれが全ヨーロッパに残ったのです――なぜでしょう?美しいからです!汚れがないからです!そうでしょうか?そこになにがあるか、ぼくは知りませんが、ただほのぼのとした気持になります。ぼくは中学校で小説ばかり読んでいました。ぼくにはね、田舎に一人のの姉がいるんです、一つちがいの……おお、いまではもうすっかり売られてしまって、田舎にはなにもありません!ぼくはよく姉といっしょにテラスで、菩提樹の老木の下陰に腰かけて、この小説を読んだものです、そしてやはり夕陽が沈みかけると、ぼくたちは読むのをやめて、互いに言い合ったものです。ぼくたちも負けないようなよい人間になろう、心の美しい人間になろうと。ぼくはそのころ大学に入る勉強をしていました、そして……ああ、ドルゴルーキー、ねえ、誰にでも思い出というものがあるものですねえ!……」

「わかるかな」と彼は言った、「写真というものはごくまれにしか似ないものだ、しかしそれは無理もないさ、だってオリジナルそのものが、つまりわれわれの一人々々がだな、ごくまれにしか自分に似ないのだからな。ごくまれに人間の顔は自分の主要な特徴、つまり自分のもっとも特徴的な思想を表現する瞬間があるものだ。画家というものは顔を研究して、その顔の主要な思想というものを把握する、だから、描いているときに、それがまったく顔にあらわれていなくたって、ちゃんと描けるのだよ。ところが写真というものは人間をそのときそのときのあるがままにとらえる、だからナポレオンが、ある写真では、薄のろみたいにうつったり、ビスマルクがーー柔和な顔になったりということがありうるのだよ」

「ロシアの女というのは早く老ける、その美しさはつかのまのまぼろしみたいなものだ、そしてそれは、たしかに、人種的な特徴のせいばかりとはいえない、ひとつには、惜しみなく愛をあたえることができるからだよ。ロシアの女は愛したとなると、なにもかもいちどきにあたえてしまう――瞬間も、運命も、現在も、未来も。出し惜しみということを知らないし、貯えるということを考えない、そして美しさがたちまちのうちに愛する者の中へ流れ去ってしまうのだ。このくぼんだ頬――これもわしの中へ、わしのつかのまの慰みの中へ流れこんでしまった美なのだよ」

「ごらんなさい、わたしはあなたとうまく話もできないでしょう。わたし思うのですけど、あなたがもうすこし弱くわたしを愛してくれることができたら、わたしはきっとあなたを好きになっていたでしょうね」彼女はまた臆病そうに微笑した。

アンドレイ・ペトローヴィッチ!」と彼女は片手を彼の肩にふれて、言うに言われぬ表情を顔にうかべて、言った、「そのような言葉は聞くに堪えませんわ!わたしは生涯、このうえなく貴い人として、高潔な心をもった人として、愛と尊敬を捧げることができるなにものにもすぐれた神聖な人として、あなたの思い出を大切にすることでしょう。アンドレイ・ペトローヴィッチ、わたしの言葉をわかってくださいね。だってわたし、その気持があるからこそここへ来たのじゃありませんか、やさしい、昔も今も変りなくやさしいお方!わたし、はじめてお会いしたとき、あなたがわたしの知性にはげしい衝撃をあたえてくだすったことを、終生忘れませんわ!親しい友だちとしてお別れしましょう、そして生涯わたしのもっとも厳粛な、そしてもっとも愛しい思いでとなって、わたしの心の中に生きつづけてくださいね!」
「別れましょう、そしたらあなたを愛してあげます、ですか。愛してあげます――ただし別れましょう、とおっしゃるんですか。ねえ」と彼はすっかり蒼白になって言った、「どうかもうひとつ施しをあたえてください。わたしを愛してくれなくてもかまいません、わたしのそばに暮してくれなくてもかまいません、もうこれっきり会えなくてもかまいません。わたしをお呼びくだすったら――わたしはあなたの奴隷になります、見るのも聞くのもいやだとおっしゃるなら――即座に消えてなくなります、ただ……ただ誰の妻にもならないでください!」