新渡戸稲造『武士道』
義理は本来、義務以上の何物でもなかった。あえて言葉の由来といえば、たとえば親に対する私たちの行動は、愛が唯一の動機である。だが、それがない場合は、親孝行を強いるための何らかの権威が必要となる。そこで人々はこの権威を義理としたのである。
これはきわめて正しかったといわねばなるまい。なぜなら、もし愛情が徳の行動に結びつかない場合は、頼りになるものは人の理性である。そしてその理性は、直ちに人に正しく行動することを訴えるからである。
切腹をやり遂げるには、極限までの冷静さが必要だった。ストラハン博士は自殺を二種類に分類し、「合理的もしくは擬似的自殺」と「非合理的もしくは真正の自殺」といっているが、武士における切腹はまさしく前者のよい見本であるといえる。
太陽が昇るとき、まず最初にもっとも高い山々の頂を紅に染め、やがて徐々にその光を中腹から下の谷間に投じていくように、初め武士階級を照らしたこの武士道の道徳体系は、時が経つにつれて、大衆の間にも多くの信奉者を引きつけていったのである。
民主主義は天性の貴公子をその指導者として育み、貴族主義は民衆の中によき貴公子の精神を吹き込む。「仲間に一人でも賢い者がいれば、みんな賢くなる。伝染力というものはそれほど速い」とエマソンがいったように、美徳は悪徳に劣らず伝染する力を持っている。どのような社会的身分や特権も、道徳の感化力を拒むことはできない。