マリオ・プーゾ『ゴッドファーザー』

彼はアメリカのイタリア系一世としては上背のあるほうで六フィート近く、五分刈りの濃いくせ毛が彼をいっそう長身に見せていた。また彼は、キューピッドを思わせるような童顔をしていたが、弓形の唇は官能的で、くっきりと割れ目の入った顎に今日に猥褻な魅力がある。身体つきは牡牛のようにたくましく、生まれついて頑丈なため、彼の妻はまるで異教徒が拷問を恐れるように、結婚初夜を恐れたという話が語り草になっていた。彼が若い頃、売春宿へ行くと、一番手強くてこわいもの知らずの女ですら、彼の一物を見たとたん二倍の料金を要求したというまことしやかなうわさもあるほどなのだ。

一九四四年には、彼の武勲を示す写真と共に彼自身の写真がライフ誌に載ったほどである。友人の一人がそれをドン・コルレオーネに見せたところ(家族の者は誰もその勇気がなかったのだ)、ドンは、「あいつは一家のためでなく、よそ者のために勇敢にやっておる」と、苦々しげにつぶやいたという。

ドン・コルレオーネは平然としているのだった。彼はもうずっと昔に、人生には耐えねばならない侮辱を受ける場合があるが、目をしっかり開いてさえいれば、いつの日か、最も弱き者が最も強き者に復讐することができるという知識を会得していた。友人すべてが称える謙虚な心を彼が失わずにすんでいるのは、まさにこの知識のおかげなのだった。

彼はパン屋にディ・ノビリのシガーと黄色いストレーガのグラスをすすめ、相手の肩に手を置きながら話すように言った。これはドンの人間性をよく表していた。これまでの苦い経験から彼は、友人が願いごとを口にするのにどれだけ勇気がいるかということをよく承知していたのだ。

相手が寛大ならば、こちらもそれ以上の寛大さを示さなくてはならない、これがドンの持論だった。ドンほどの人物が借金までして金を貸してくれるとは。アンソニー・コッポラはこの好意を生涯覚えていることだろう。ドンが百万長者であることはともかく、貧しい友のために一時の不便を忍んでくれる百万長者が、いったい何人いるだろうか。

「あら」とケイは、不思議そうに尋ねた。「どうして養子にしなかったの?」
マイケルは笑い声をたてた。「ぼくのおやじがね、名前を替えたりしたらトムに対して失礼になるだろうと言ったからさ。トムの両親に対しても失礼になるって」

ソニーはシガーをつけ、ウイスキーをあおった。マイケルが面喰らって尋ねた。「この魚いったいどういう意味だい?」彼に答えたのは、アイルランド人でありコンシリエーレであるトム・ハーゲンだった。「つまり、ルカ・ブラージは海の底で眠っているということさ」彼が言った。「シシリーに伝わる古い挨拶だよ」

またもやトム・ハーゲンは、マイケル・コルレオーネの顔が急激な変化を見せ、ドンの顔に不気味なほど似通ったものになるのを見た。「トム、だまされちゃいけない。仕事というものは、一から十まですべて私的なものなんだ。あらゆる人間の、生きていく上でのあらゆる営みはすべて私的なものであり、それを人々は仕事と呼んでいるんだ。それでも結構。だがそれはあくまでも私的なものでしかないんだな。これをぼくがどこから学んだか知っているかい?ドンだ。ぼくのおやじだ、ゴッドファーザーからさ。彼の友だちが稲妻に打たれたとしても、おやじはそれを人為的なものと考えるだろう。ぼくが海兵隊に入ったことも、おやじは私的なことと考えていた。それが彼を偉大にしているんだ。偉大なドンに。彼はすべてを私的なこととして受け止める。神のようにね。彼は、雀の尾から抜け落ちる羽毛のことも、それがどこに飛んでいくかもお見通しなんだ。ちがうかい?それに、こんなことを知ってるかい?災難というものは、それを人為的な侮辱と考える者の頭上を避けて通るんだよ」

トム・ハーゲンは顔をそむけた。「君がおやじさんから学ばなかったことを一つだけ教えてやろう――彼は決して、今の君のような話し方をしなかったってことさ。やらねばならないことがあって、おしてそれを君がやるつもりなら、そのことを決してあれこれ話したりはしないことだ。それを正当化しようなんて思ってはいけない。というよりも、正当化され得ないものなんだ。君はそれをやるだけだ。そして、すぐに忘れてしまうことだよ」

「君が結婚した相手は、それほど馬鹿な男じゃないんだよ」彼女は返事をしなかった。返事をしなかったのは、今やファヌッチでなく、自分の夫がこわかったからだった。ヴィトーは、刻一刻彼女の見守る中で、危険な力といったものを放射する男へと変化を遂げていた。これまでの彼は、若いシシリーの男にしては珍しく、いつも静かで口数少なく、しかも優しくて理性的だった。その彼が、無害無色の保護色を脱ぎ捨て、自己の運命ぬスタートを切ろうとしている。それは、すでに二十五歳となり、年齢的には遅い出発であったが、将来の栄光が約束された出発でもあったのである。

人間にはそれぞれ定まった運命があるという彼の持論は別にして、ドンは、ソニーが癇癪を起こすたびに、厳しくそれを戒めた。彼は、おどしを手段にするのは愚の骨頂だと考えていたのだ。ドンにしてみれば、前後の見境なく腹を立てることは、いたずらに危険を招いている行為としか思えなかった。誰ひとりとして、ドンがあからさまなおどしを口にするのを聞いたことはなかったし、また、抑えきれないほどの怒りにかられているドンの姿を見たこともなかった。それはまさに考えられないことだったのだ。そんなわけで、ドンは自分の戒めとするところを熱心にソニーに教えようとした。自分の長所を過小評価する友人を持つ場合を除いては、欠点を過大評価する敵を持つほど自己の人生にとってたくまざる強味となることはないというのが、ドンの意見であった。

ケイも黙りこくったままだった。自分が愛した若者が、冷酷な殺人者であったという事実になじもうと努力していたのだった。しかも、その事実が最も信頼のおける筋から――つまり彼の母親から告げられたのだということに。

「この豚野郎、二度と妹を殴ってみろ、殺してやるぜ」
この言葉が緊張を柔らげた。当然のことながら、もしソニーに殺す気があるのなら、決しておどし文句を吐いたりはしないからだった。それを実行できないからこそ、彼は欲求不満を味わいながらそう口にしたのだった。

時が娘の傷を癒してくれるだろう。苦しみや恐怖は、死のように決定的なものではない――それを彼は充分に心得ていた。自分の仕事が、ボナッセラを楽天家にしていたのだった。

彼女は男たちの苦しみを分かちあわないことに充分甘んじていた――いったい、男たちは女の苦しみを分かちあってくれるだろうか?彼女はいつもと変わらぬ様子でコーヒーを沸かし、テーブルに食事を並べた。彼女の経験では、苦しみや恐怖は肉体の飢えを鈍らせるものではなかった――というよりも、食事こそが苦しみを和らげるのだった。そんな時、医者が薬で彼女を静めようとしたなら腹を立てるだろうが、コーヒーとパンの皮とでならば話は別だった。そして、むろん彼女は、とりたてて教養のある女性ではなかった。

「もし、理性というものがなかったならば、われわれはいったいどんな存在だろう?それはジャングルの獣にも劣るものです。しかし、われわれは理性をもっている。お互いに理性を説き、己れに道理を説くことができるのです。なんおために、わしがまた暴力や混乱を引き起こすというのだろう?わしの息子は死に、それは不運だった。そしてわしはそれに耐えねばならない。何も関係のないまわりの者を、わしのために苦しめることはできない。そこで名誉にかけて申し上げよう。わしは決して仇討ちを求めない。過去の事実を知ろうとは決して思わない。わしは曇りなき心を抱いてここから去るつもりです。
しかしながら、われわれは常に自己の利益というものを考えなければならない。われわれはみな、馬鹿にされるのを拒否した人間、高い所にいる者がたぐる糸の下で踊る、操り人形になるのを拒否した人間なのです」

「君はいつも昼前から酔っ払っているのかい?」
バレンティは「ごらんのとおりでさ」と言い、彼ににやっと笑いかけたが、それはいかにも善良そうな笑いであり、ジュールズも意に反していたわるような口調になっていた。「そんな生活を続けていると、五年ぐらいで死ぬことになるよ」
バレンティは小さくダンスのステップを踏みながら近づいてくると、バーボンの匂いをまき散らしけたたましく笑いながら、ジュールズに抱きついた。「五年だって?」と彼は弾む息の下から言った。「そんなに先のことなのかい?」

二人は並んで丘を登っていき、すぐ後ろには彼女の母親がついていた。しかし、若い二人がお互いに身体を触れないでいるのは不可能であり、途中アポロニアは、つまずいた拍子に彼のほうに倒れかかった。マイケルは素早く彼女を支え、彼の手の中にある温かく生き生きとしたアポロニアの肉体は、彼の身体の中に血の波立ちを起こさせた。二人は、背後の母親が微笑んでいるのに気づかなかった――彼女の娘は野生のヤギのようで、おしめを着けた赤ん坊の頃から、この小道でつまづいたことなど一度としてなかったのだ。それに、この若者が彼女の娘に手を差し伸べようとするには、結婚するまでこれが唯一の方法であり、それゆえ、彼女は微笑んでいたのだった。

マイケルはタバコを吹かしていた。そして、熱い灰が少しケイの裸の背にこぼれ落ちた。彼女はちょっとぶっくりし、おどけたように言った。「拷問はよしてちょうだい。絶対に口は割りませんからね」

「もしあなたが監獄に入れられたらどうするの?」
「いや、そんなことはありえないね」マイケルは言った。「殺られることはある。だが監獄入りはないさ」
このふてぶてしい言葉に、ケイは思わず笑い出した。おかしさと誇らしさが奇妙に混じり合った笑いだった。

「ジュールズ、あなた、ジュールズ、そんなに怒らないで。普通に話してあげて」
ジュールズは立ち上がった。彼が普段の冷静さを失っていることを、ジョニー・フォンテーンは満足感とともに見てとった。声までが、その静かで抑揚のない単調さを失っていた。
「あんたは、ぼくがこういう状況で、あんたのような人間に話をするのが、これが初めてだとでも思っているのかね?」ジュールズは言った。「ぼくは毎日のように、そんなことをしていたんだ。ルーシーは、普通に話せと言う、彼女は自分が何を言っているのかわかっちゃいないんだ。いいか、ぼくはみんなにいつも言った。『そんなにたくさん食うな。死んじまうぞ。そんなにタバコを吸うな、死んじまうぞ。そんなに働くな、死んじまうぞ。そんあにたくさん飲むな、死んじまうぞ』誰も聞きゃしない。なぜだかわかるか?ぼくが『明日死ぬぞ』と言わないからだ。そこで、言ってやろう、ニノは明日死んでも少しもおかしくないんだ」

ドンは息子に対する教育を続けた。「この世には」と彼は言った。「殺してくれと言いながら歩きまわっているような人間がいるのだよ。おまえも気がついたにちがいない。彼らは賭け事で口論し、誰かが自分の車のフェンダーをひっかいたというだけで、頭にかっと血がとぼってしまう。彼らは相手の腕前を知らずに侮辱したりおどかしたりするのだ。わしは一人の男を知っているが、こいつは愚か者で、危険な連中をわざと怒らせて、それでいて彼自身にはなんの方策もないのだな。『俺を殺せ、俺を殺せ』と叫びながらそこらをうろついているような手合いだよ。そして常に、誰か彼らの希望をかなえてやろうと待ち構えている者がいるのだ。毎日、新聞でお目にかかることだよ。むろん、そういった連中はほかの人々にも非常な害を及ぼすものだ。
ルカ・ブラージはそういう男だったな。だが彼はまったく並はずれた男だったので、長いこと誰も彼を殺すことができなかった。こういう手合いの大部分は、われわれにはたいした関係もないのだが、ブラージは活用されるべき強力な武器だった。こつは、そういう人間は死を恐れず、実際それを求めてさえいるというところにある。そこでこつは、この世でこの人にだけは殺されたくないと彼が心から願う、そんな人間におまえ自身がなることだ。彼はその一つの恐怖だけを――死ぬことのでなく、彼を殺す人間はおまえかもしれないという恐怖だけを持つことになる。そうなれば、彼はすでにおまえのものなのだよ」

「ドン・マイケル」そうクレメンツァは言った。
ケイは、彼らの臣従に対し絶対の権能をほしいままにしたあの古代ローマ帝王の彫像を、彼女に思い起こさせた。片手を腰にあてがい、その横顔は冷たく尊大な力強さにあふれ、後方にわずかにずらした片足に全身の重みをかけて、ゆったりと、傲然とくつろいでいた。幹部たちは彼の前に控えている。その瞬間、ケイは、コニーの先ほどの言葉がすべて真実であることを悟った。彼女はキッチンにもどり、静かに涙を流した。