三島由紀夫『葉隠入門』

戦時中には、死への衝動は一〇〇パーセント解放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に抑圧されている。それとちょうど反対の現象が起きているのが戦後で、反対の報道と自由の衝動と生の衝動は、一〇〇パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない。

この反理性主義、反理知主義には、もっとも危険なものが含まれている。しかし、理性主義、理知主義の最大の欠点とは、危険に大して身を挺しないことである。もし、理知が盲目の行動の中におのずから備わるならば、また、もし理性があたかも自然の本能のように、盲目の行動のうちにおのずから原動力として働くならば、それこそは人間の行動のもっとも理想的な姿であろう。

われわれは、一つの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくであろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。