坂口安吾『いずこへ』 『白痴』『母の上京』『外套と青空』『戦争と一人の女』『青鬼の褌を洗う女』

『いずこへ』

男は立派な体格で、苦み走った好男子で、汚い女にくらべれば比較にならず、客のなかでこの男ほど若くて好い男は見当たらぬのだから笑わせる。天性の怠け者で、働く代わりに女を食い物にする魂の低さが彼を卑しくしていた。その卑しさは女にだけは良く分り、又、事情を知る私にも分るが、ほかの人には分らない。彼がムッツリ酒をのんでいると、知らない客は場違いの高級の客のように遠慮がちになるほどだ。彼は黒眼鏡をかけていた。それはその男の趣味だった。

私自身に考える気力がなかったので、私は私の考えを本の中から探しだしたいと考えた。読みたい本もなく、読みつづける根気もなかった。私は然し根気よく図書館に通った。私は本の目録をくりながら、いつも、こう考えるのだ。俺の心はどこにあるのだろう?どこか、このへんに、俺の心が、かくされていないか?私はとうとう論語も読み、徒然草も読んだ。勿論、いくらも読まないうちに、読みつづける気力を失っていた。

『白痴』

白痴の苦悶は、子供達の大きな目とは似ても似つかぬものであった。それはただ本能的な死への恐怖と死への苦悶があるだけで、それは人間のものではなく、虫のものですらもなく、醜悪な一つの動きがあるのみだった。やや似たものがあるとすれば、一寸五分ほどの芋虫が五尺の長さにふくれあがってもがいている動きぐらいのものだろう。そして目に一滴の涙をこぼしているのである。

言葉も叫びも呻きもなく、表情もなかった。伊沢の存在すらも意識してはいなかった。人間ならばかほどの孤独が有り得る筈はない。男と女とただ二人押入にいて、その一方の存在を忘れ果てるということが、人の場合に有り得べき筈はない。人は絶対の孤独というが他の存在を自覚してのみ絶対の孤独も有り得るので、かほどまで盲目的な、無自覚な、絶対の孤独が有り得ようか。それは芋虫の孤独であり、その絶対の孤独の相のあさましさ。心の影の片鱗もない苦悶の相の見るに堪えぬ醜悪さ。

女は微かであるが今まで聞き覚えのない鼾声をたてていた。それは豚の鳴声に似ていた。まったくこの女自体が豚そのものだと伊沢は思った。そして彼は子供の頃の小さな記憶の断片をふと思いだしていた。一人の餓鬼大将の命令で十何人かの子供たちが仔豚を追いまわしていた。追いつめて、餓鬼大将はジャックナイフでいくらかの豚の尻肉を切りとった。豚は痛そうな顔もせず、特別の鳴声もたてなかった。尻の肉を切りとられたことも知らないように、ただ逃げまわっているだけだった。伊沢は米軍が上陸して重砲弾が八方に唸りコンクリートのビルが吹きとび、頭上に米機が急降下して機銃掃射を加える下で、土煙りと崩れたビルと穴の間を転げまわって逃げ歩いている自分と女のことを考えていた。崩れたコンクリートの陰で、女が一人の男に押えつけられ、男は女をねじ倒して、肉体の行為に耽りながら、男は女の尻の肉をむしりとって食べている。女の尻の肉はだんだん少なくなるが、女は肉欲のことを考えているだけだった。

『母の上京』

夏川は変態的な情欲にはてんから興味をもち得ないたちであったが、それとは別に、ひとつの純情に対するいたわりは心に打ち消すわけに行かない。すりよるヒロシの体臭が不快であったが、それを邪慳にするだけの潔癖もなかった。まア、ともかく、すこしぶらぶらして、考えをまとめようと思った。

彼は小さい時から、あくどいもの、どぎついものにはついて行けないたちであった。五十女の情欲や変態男の執念などは、まともにそれを見つめることもできないような気持なのだが、そして、淪落の息苦しさ陰鬱さに締めつけられる思いであったが、又、不思議にだらしなく全身のとろけるような憩いを覚えるのはなぜだろう。

「だって、食えなきゃ、仕方がないじゃないか」
夏川がこう言うと、女は笑いだして、
「アア、そうか」
と言ったものだ。まことい軽率きわまる唯美家であったが、それだけに、夏川は失われた年齢のぎっしりとつまった重量を厭というほど意識せずにはいられなかったものである。青春再び来らず、という。青春とは、それ自らかくも盲目的に充実し思惟自体が盲目的に妖艶なものだ。
そして、俺は、と、夏川は自分をふりかえらずにいられない。十八の娘は、闇の女でも、花があった。然し夏川には、花がない。俺の住むところは、どこなのだろう。冬の枯野なのだろうか、沙漠であろうか。何よりも、俺自身は何者であろうか。何のために生きているのであろうか。

運わるくその片足の膝小僧が夏川の睾丸をしたたか蹴りつけたから、たまらない。夏川はヒロシを担いだままフラフラフラと坐る姿にくずれて、劇痛のため平伏してしまったのである。痛さも痛いが、これはちょうど都合のよろしい姿勢であると、ついでに心の中で久闊をのべた。こうして、彼はともかく重なる親不孝を自然に詫びることができたのである。

『外套と青空』

「死のうか」
顔色がまっしろになり、目が益々はげしく見開かれて太平の顔に据えつけられた。
「死にましょうよ」
太平は困惑した。愛情は常に死ぬためではなく生きるために努力されねばならないこと、死を純粋と見るのは間違いで、生きぬくことの複雑さ不純さ自体が純粋ですらあることを静かな言葉で説明したいと思ったが、キミ子の心はささやかれている言葉以外の何事をも見失った一途なもので、少なくとも感情の水位が太平よりも高かったから、太平は低い水位から水を吹き上げることの無力さを感じることで苦しんだ。死をもてあそぶ感動の水位などは長い省察を裏切るだけでつまらぬことだと思いながら、やっぱり水位の低いことが負け目に思われ、腹が立ってくるのであった。キミ子は急に目をそらした。

「しばらく泊めてちょうだいよ」
キミ子は男が狂喜することを知っていた。その男を冷然と見下している鬼の目がかくされていた。二人をつなぐ魂の糸はもはや一つも見当たらず、太平はキミ子の肉体を貪るように愛撫して、牝を追う牡犬のような自分の姿を感じていた。キミ子の肉体すらもすでに他所他所しかったが、太平は芥溜をあさる犬のように掻きわけて美食をあさり、他所他所しさも鬼の目も顧慮しなかった。陰鬱な狂った情欲があるだけだった。

『戦争と一人の女』

「戦争に負けると、却ってこんな風雅な国になるかも知れないな。国破れて山河ありというが、それに、女があるのさ。松籟と月光と女とね、日本の女は焼けだされてアッパッパだが、結構夢の恋物語は始まることだろうさ」

『青鬼の褌を洗う女』

私が徴用された時の母の慌て方はなかった。男と女が一緒に働くなどというと、すぐもうお腹がふくらむものだというように母は考えているからである。母は私をオメカケにしたがっていた。それには処女というものが高価な売物になることを信じていたので、母は私を品物のように大事にした。