トルストイ『結婚の幸福』

この人の態度はほかの近所の人達とまるで違っていました。ほかの人はみな母の死後我家へやって来ると、じっと坐ったまま黙り込んで、泣くのを義務のように心得ていましたが、この火とはまるで反対に話好きで、快活で、母のことなどは一口も言い出しませんでした。それゆえ初めのうちはこうした冷淡な態度が、わたしには奇妙に思われました。それどころか、こういう近しい知人として失礼な仕打ちではないか、とさえ感じられたくらいなのです。けれども後で、それは冷淡じゃない、かえって真心から出たことなのだと合点が行きました。で、わたしはそれを有難く思いました。

あの恐ろしい『なぜ?』という問いは、もうわたしの胸に浮かんで来ませんでした。幸福になるためには生きなければならないということは、極めて簡単明瞭な真理のように感じられ、未来は幸福に充ちている思いでした。わたし達の古い陰気なポローフスコエの家は、何だか不意に生命と光明に満たされたような塩梅でした。

セルゲイ・ミハイロヴィッチは又わたし達の目下の者――百姓や、召使や、女中などを、以前とはまったく違った眼で見ることを教えてくれました。こう言えばおかしいようですが、わたしは十七の年までこの人達の間に暮して来ながら、まるで一度も見たことのない人間より以上に、これらの人達に無頓着でいました。わたしは、この人達もわたし自身と同じように、愛したり、望んだり、憐れんだりするなどとは、夢にも思わなかったのです。ずっと昔から知っていた我家の庭も、我家の森も、我家の野も、急にわたしにとって新しく、美しいものとなりました。セルゲイ・ミハイロヴィッチは、世の中にたった一つ間違いのない幸福がある、それは他人のために生活することだと言いましたが、それは嘘でありませんでした。当時わたしはその言葉が奇妙に思われて、合点がいきませんでしたが、その信念は理智を経ないで、もう直接わたしの胸に来ました。セルゲイ・ミハイロヴィッチはわたしの生活を少しも変えず、また一つ一つの印象に自分以外のものは何一つ附け加えないで、現在における偉大な悦びの生活を開き示してくれました。子供の頃から無言を守っていた周囲のものが、急に生を得たようになりました。ただこの人が訪ねて来ただけで、たちまちすべての物が口を利き出して、さきを争いながら魂の中へ押し入り、幸福で一杯にしてしまうのでした。

部屋の中はひっそりとしていました。ただカーチャの規則ただしい寝息と、その傍で時計のチクタクいう音が聞こえるばかりでした。わたしはしきりに寝返りを打ちながら、祈祷の言葉を口の中で呟いたり、十字を切ったり、頸に掛けている十字架に接吻したりしました。戸はすっかり閉まっているし、窓は鎧戸で蔽われていました。何かしら蝿か蚊のようなものが、慄えながら一ところでぶんぶん唸っている。わたしはもう金輪際、この小さな部屋から出たくないような気がしました。朝が来なければいいと思いました。わたしを包んでいるこの霊的な空気が、散り失せてしまうのが厭だったのです。わたしは自分の空想や、思想や、祈りが生のあるもので、すぐそこの闇の中でわたしと一緒に生きており、わたしの寝台のまわりを飛びめぐり、わたしの上に立っているような気がしました。そうして一つ一つの思想はあの人の思想であり、一つ一つの感情はあの人の感情なのでした。わたしはまだその時分、これが恋だとは知りませんでした。わたしはこんなことはいつでもあり得るもので、こんな感情はただ訳もなく無報酬で与えられるものだ、とそう思っていたのでした。

カーチャは男の方が女よりも、愛したり愛を打ち明けたりしいいと言いました。
「男の方はあいするってことが言えますけれど、女はそう行きませんからね」と言うのです。
「ところが、わたしはこういう気がします――男は愛しているなどと言うべきでもなければ、またそんなことが言えるものでもありません」とセルゲイ・ミハイロヴィッチは反対する。
「なぜですの?」とわたしは訊きました。
「なぜって、それはいつでも嘘だからです。人が恋をするということが、いったいどんな大発見なのでしょう?まるでこの一ことを言うが早いか、ぱっと音がして何か出現でもするような気でいるんですからね――愛している!まるでこう言ったときに、何か異常な霊験でも生じて、ありったけの大砲が鳴り出しでもするような騒ぎなんです。わたしはこう思うんです、」とセルゲイ・ミハイロヴィッチは言葉をつづけました。「わたしはあなたを愛します、などと物々しげに言う人間は、自分で自分を欺いているのか、それとも他人を欺いているのです――こいつはもっと悪い方です」
「それでは、どうして女は自分が愛されていることを知るのでしょう。それを打ち明けて貰えないとしたら?」とカーチャは訊きました。
「それはわたしにもわかりませんな」とセルゲイ・ミハイロヴィッチは答えました。「人にはそれぞれ自分の言葉というものがあります。それに感情がある以上、自然とそれは外へ現れるでしょうよ。わたしはいつも小説を読むときに、そう思うんですよ。ストレーリスキイ中尉とかアルフレッドとかいう連中が、『わたしは汝を愛する、エレオノーラ!』と言って、今にも何か忽然と異常なことが出現するだろうと考えている、それなのに自分の方にも相手の方にも何事も起らないで、やはり依然として同じ眼に同じ鼻、すべてが元のままで少しも変わりがないのを見たとき、どんな呆気にとられた顔をするだろうと思って」
わたしもうその時この冗談の中に、何かしら自分に関係した重大なあるものを直覚しましたが、カーチャは小説の主人公をこう軽々しく取り扱うのを許しませんでした。
「いつもいつもパラドックスですわね」と言いました。「まあ、一つ正直なところを聞かして下さいな――一体あなたは一度も女の人に『愛する』と言ったことがないんですの?」
「一度も言ったことがありません。そしてまた一度だって片膝をついたこともありません」とセルゲイ・ミハイロヴィッチは笑いながら答えました。「又これからもないでしょう」
『そうだ、この人はわたしを愛しているなどと言う必要がないのだ』今あの会話をまざまざと思い浮かべながら、わたしはこう考えました。『この人はわたしを愛している。わたしにはそれがちゃんとわかっている。この人がいくら平気らしく見せようとしたって、わたしは瞞されやしない』

「僕が恐ろしいんだろう」わたしの手を取って、その上に頭を載せながら、あの人は言うのでした。
わたしの手はさながら生の通っていないもののように、その手の中でじっとしていました。そして心臓は寒気のために痛いような気がして来ました。
「ええ」とわたしは囁きました。
けれどそのとき突然、心臓が激しく鼓動を始め、手は震えて、あの人の手をしっかりと握り締めました。体が急に熱くなって、眼が暗闇の中で相手の眼を捜しました。わたしは不意にはっきりと、あの人を恐れているのではない、と感じました。この恐怖は愛なのでした――以前よりももっと優しく、もっと強い新しい愛なのでした。わたしは自分の身も心もあの人のものであり、わたしに対するあの人の優越権のために幸福なのだ、ということを直感したのでした。

わたしに必要なのは、善行でなくて闘いでした。わたしは生活が感情を指導するのではなしに、感情がわたし達の生活を指導することを要求しました。わたしは夫と一緒に深淵へ近寄って、『いま一あし出るとわたしはこの下へ落ちてしまう、ちょっとでも身動きするとわたしの身は破滅だ』というと、夫は深淵の端に立って真青な顔をしながら、その強い両手にわたしを抱き上げて、わたしの心臓がひやりとするくらい、深淵の上へ宙に吊るしたのち、どこへなりと好きな所へ連れて行く、そういう風にして貰いたかったのです。

「イワン・セルゲーイッチ!」赤ん坊の頤を軽く指で触りながら、夫はこう言いました。けれどわたしはまた大急ぎで、イワン・セルゲーイッチを隠しました。わたしよりほかどんな人でも、この子を長く見る訳には行かないのです。わたしが夫を見上げると、その眼はわたしの眼をみつめながら笑っていました。するとわたしは久し振りに初めて、軽々とした喜ばしい気持ちでその眼を見ることが出来ました。
この日からわたしと夫のローマンスは終わりを告げました。昔の感情は二度とかえらぬ貴い思い出となって、子供らとその父親に対する新しい感情が、ほかの幸福な――すっかりちがった意味で幸福な生活の基となりました。その生活をわたしは今この瞬間、まだ味わい尽くしていないのです……。