ノヴァーリス『青い花』

「詩の芸術は一見したところ、これといって目立つところがありません。この芸術は道具や手で何か造るわけでもなく、目や耳で知覚するわけでもありません。なにしろ、ただその言葉を聞くだけでは、この神秘の芸術のほんとうの作用は少しも見えてきません。すべては内にこめられているのですから。ちょうど画家や音楽家が目や耳という外にある器官を心地よい感覚で満たすのに対して、詩人の方は心情という内にひそむ聖域を、不思議な快い想念で新たに満たしてくれて、わたしたちの内に秘められたあの神秘の力を思いのままに刺激して、言葉によって未知のすばらしい世界を知覚させます。あたかも深い洞窟から湧きでるように、過去と未来が、まだ数知れない人々や、不可思議の地や稀有の事件が、わたしどもの胸の内に浮かびあがってきて、現在というすでになじんだ世界からわたしどもをひきささらっていきます。すると、未知の言葉がひびいてくるのに、どんな意味かちゃんと分かるのです。詩人のとなえる言葉には、魔術の力がこもっていますので、ありきたりの言葉でもこよない響きとなり、そのとりことなった聴き手はうっとりと酔いしれます」

ハインリヒの心情に、今夜老人がうたってくれた話が影を宿していた。あたかも自分の心の中にある世界が扉を開けはなち、賓客をもてなすようにして、あらゆる宝物や秘蔵の愛らしい品々を見せてくれるかのようであった。自分をとりまく偉大で素朴な現象が、はっきりと了解される気がし、自然がかくも解しがたいのは、身近なもの、親密なものを、人間の周囲にそれこそ多様な表現でふんだんにふりまき、どんどん積み上げすぎるせいだと思われた。

「詩人の童話のほうが、学者の年代記よりはるかに多くの真実をふくんでいる。たとい登場人物とその運命は虚構であっても、それをつくる精神は、真実で自然なものです。わたしたちは、その人物の運命に自分自身の運命を仮託するのですが、それが実在の人物かいなかは、そこから娯楽と教訓をえるうえで、いわばどうでもよいことなのです。わたしたちは、時代の現象にひそむ偉大で素朴な精神を直観したいと望み、その願いさえかなえば、ひとりひとりの存在が、たまたまどんな外観を呈していようと、意に介すべきことではありません」

「自然とひとの心情との関係は、物体と光の関係に似ている」とグリングゾールが答えた。「物体は光をさえぎり、光を屈折させて固有の色彩を呈する。物体がその表面や内部に光を点じるとき、光が物体の明るさと等しくなると、物体は明るくなり、透明になる。光が物体の明るさより強くなると、光はその物体から放射して、他の物体を照らす。まあ、どんな暗い物体でも、火や水や空気の作用によっては、明るくなるし、きらきら輝くようにもなるわけだがね」
「よく分かりました、先生。人の身体は、心情からみると結晶体で、透明な自然なのですね。ねえ、マティルデ。言うなれば、きみはすばらしい澄みきった青玉(サファイア)だ。大空のようにくもりなく透明で、こよなくやさしい光をはなってあたりを照らしている」

「感情はおのずと生れてくるもので、むやみに探しまわるべきではなく、たまにしか現れないからこそありがたみがあるのだ。もししょっちゅうつきあわされでもしたら、疲れるし鈍くなってしまう。できるだけ早く感情がもたらす甘美な麻酔からさめて、規則正しい苦労の多い仕事にたちかえることが大切だ。ちょうど朝方に見る心地よい夢に似て、力づくでもなければこの朦朧とした渦から抜け出すことは至難のことで、へたをすると重苦しい疲労にどんどん陥って、あげくに病的な無気力のうちに一日中をおくることになりかねない」

「詩はことに厳格な技術として営まれることが望まれる」とクリングゾールはつづけた。「たんなる楽しみごととしてみると、詩は詩でなくなってしまう。詩人たるものは、一日中漫然と歩きまわり、映像や感情を追いかけまわしてはならない。それではまったくあべこべだ。虚心な態度、しなやかな思索と機敏な観察、みずからのすべての能力をたがいに活気づかせ、その活動を維持する技量、これらが詩の芸術に必須な要件だ」

「ぼくの永遠はきみがつくりあげてくれるのだ」とハインリヒが叫ぶと、紅潮したほおをつたって涙が流れ、二人は同時に抱きあった。クリングゾールは二人を両腕で抱いた。
「さあ子供たち、たがいに生涯変わらないように。愛と誠がおまえたちの生命を永遠の詩にかえるだろう」

「自然は詩人なりなどといわれると、なるほど詩とがそういうものかと一般に思いこまれるようだが、わたしにはどうにも納得できない」とクリングゾールが言った。「自然がいつでも詩人であるとは限らない。自然にも、人間の心の中と同様に、詩に敵対するあの暗い欲望、鈍感や怠惰などがあって、詩と間断なく戦っているのだ。このはげしい戦いが、詩作のまたとない素材ともなるがね」

「ところでこれは断言してもいいほどだが、どの文芸においても、混沌が整然とした秩序のヴェールを通してほのかに光を放っていなければならぬということだ。着想の豊かさも、さりげなく配置されてはじめて、それと知られもし、ゆかしいものともなるのだ。それにたいしてただの均整を求めるなら、数字を並べて作られた無味乾燥な図形にもあるではないか。すぐれた詩がわれらのすぐ傍らにあり、またありふれた対象が絶好の素材となることもまれではない。詩人にとって、詩は限定された道具の制約をうけているがゆえに、芸術となるのだ」

ジルヴェスターはハインリヒに会えてよろこんで言った。「今の君と同じ年齢だったお父さんがわたしを訪ねてくれたから、もうずいぶん久しくなる。あのひとには古代の宝物、あっけなくすぎた世界の貴重な遺物をあれこれ懸命に教示したものだった。お父さんには、立派な彫刻家になる素質があると気づいたものでね。創造する道具としての真の目となるべき意欲がその目にあふれていたし、顔にはかたい意志とねばり強い勤勉さがみなぎっていた。だがすでに眼前の世界がすっかり根をはってしまっていたのだね。自分の本性の大切な呼び声にちっとも耳をかたむけようとはしなかった。祖国の陰鬱できびしい風土に、内に秘められた気高く柔らかい芽が駄目にされて、有能な職人にはなったが、霊感をえることなどおよそ下らぬこととみなすようになったのだ」
「よく父のひそかな不機嫌を感じて、痛ましい思いをしました」とハインリヒは答えた。「父が休みなく働いているのは習慣にすぎず、けっしてあふれる意欲からではありません。平穏無事な生活、快適な暮し、朋輩から愛され、町のあらゆる問題に意見を請われるという喜びだけではどうにもつぐないきれぬ何かがありました。知人はみんな父のことを、あんなに幸せな人はいないと思っていますが、父がどんなに人生に倦き、時には世の中をどんなにむなしく思っているか、この世を去ることをいかに切望しているか、生業への喜びからではなく、そんな気分から逃れるために懸命に働いているのだとは、少しもわかっていないのです」

「いったいいつになったらいかなる恐怖も、苦痛も、窮状や悪も、この宇宙からなくなるのでしょうか」とハインリヒは言った。
「たったひとつの力、すなわち良心の力が存在すればよい。自然が気ままでなく、道徳的になったときだ。悪にはただ一つの原因しかないが、それは全体的な衰弱だ。衰弱こそ、道徳的な感受性の乏しさと自由の魅力の欠如にほかならない」
「どうぞ良心の本性をおしえて下さい」
「それができるなら、わしは神になっている。なぜなら良心は理解することによってはじめて生じるものだから。わしに文芸の本質を教えることがおできになるかな」
「人間に関することがらは、はっきりと問いただすことはできません」
「ましてや最高の不可分なものの秘密は、なおさらのことだ。音楽を耳の聞こえぬものに説きあかせようか」
「それでは感覚は、それがきりひらいた新たな世界の一部分だということでしょうか。ものごとを理解できるのは、自分がそれをもっているときだけなのでしょうか」
「宇宙は、より大きい世界によって次から次へと包括されていく、はてしない世界に分かれている。あらゆる感覚は結局はひとつの感覚で、このひとつの感覚がまるでひとつの世界のように、次第にあらゆる世界へと通じる。だが、なにごとにも潮時と流儀がある。大宇宙としての人間だけが、小宇宙としてのわれわれの世界の関係を洞察することができる。わしらが自分の肉体のもつ感覚的な制約をうけながら、ほんとにこの世界に新しいさまざまの世界を加え、この感覚に新しい感覚をつけたしうるのか、それともわしらの認識がますことも、新たな能力が獲得されることも、いずれもわしらのもつ現在の世界感覚を発達させるにすぎぬ、と考えるべきなのかは断言しがたい」