太宰治『正義と微笑』

僕は、きょうから日記をつける。このごろの自分の一日一日が、なんだか、とても重大なもののような気がして来たからである。人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格がつくられると、ルソオだか誰だか言っていたそうだが、或いは、そんなものかも知れない。僕も、すでに十六歳である。十六になったら、僕という人間は、カタリという音をたてて変わってしまった。他の人には、気が附くまい。謂わば、形而上の変化なのだから。じっさい、十六になったら、山も、海も、花も、街の人も、青空も、まるっきり違って見えて来たのだ。悪の存在も、ちょっとわかった。この世には、困難な問題が、実に、おびただしく在るのだという事も、ぼんやり予感出来るようになったのだ。だから僕は、このごろ毎日、不機嫌なんだ。ひどく怒りっぽくなった。智慧の実を食べると、人間は、笑いを失うものらしい。以前は、お茶目で、わざと間抜けた失敗なんかして見せて家中の人たちを笑わせて得意だったのだが、このごろ、そんな、とぼけたお道化が、ひどく馬鹿らしくなって来た。お道化なんてのは、卑屈な男子のする事だ。お道化を演じて、人に可愛がられる、あの淋しさ、たまらない。空虚だ。人間は、もっと真面目に生きなければならぬものである。男子は、人に可愛がられようと思ったりしては、いけない。男子は、人に「尊敬」されるように、努力すべきものである。

「微笑もて正義を為せ!」
いいモットオが出来た。紙に書いて、壁に張って置こうかしら。ああ、いけねえ。すぐそれだ。「人に顕さんとて、」壁に張ろうとしています。僕は、ひどい偽善者なのかも知れん。よくよく気をつけねばならぬ。

「日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」

まっぱだかで喧嘩をするなんて、あまりほめた事ではない。もうスポーツが、いやになった。健全な肉体に健全な精神が宿るという諺があるけれど、あれには、ギリシャ原文では、健全な肉体に健全な精神が宿ったならば!という願望と歎息の意味が含まれているのだそうだ。兄さんがいつかそう言っていた。健全な肉体に、健全な精神が宿っていたならば、それは、どんなに見事なものだろう。けれども現実派、なかなかそんなにうまく行かないからなあ、というような意味らしい。梶だって、ずいぶん堂々たる体格をしているが、全く惜しいものだ。あの健全な肉体に、明朗な精神が宿ったならば!だ。

宗教とは奇蹟を信じる力だ。合理主義者には、宗教がわからない。宗教とは不合理を信じる力である。

わが友の、
笑って隠す淋しさに、
われも笑って返す淋しさ。

人間は幸福な時には、ばかになってもいいのだ。神も、ゆるし給わん。この一日は、僕たい二人の安息日だ。兄さんは、貝殻に鉛筆で詩を書いた。
「なに?」といって覗き込んだら、
「ひめたる祈りを書いたのさ。」と言って笑って、その貝を海にほうった。
家へかえって、風呂へはいり、晩ごはんをすましたら、もう眠くなった。兄さんは、まっさきに蒲団にもぐり込んで、おお鼾をかいて眠ってしまった。こんなによく眠る兄さんを見た事が無い。僕は、ひと眠りしてから、また起きて、この日記をしたためた。この三日間の出来事を、一つも、いつわらずに書いたつもりだ。一生涯、この三日間を忘れるな!

幻滅。それだ。この言葉は、なるべく使いたくなかったのだが、どうも、他には言葉が無いようだ。幻滅。しかも、ほんものの幻滅だ。われ、大学に幻滅せり、と以前に猛り猛って書き記した事があったような気がするが、いま考えてみると、あれは幻滅でなく、憎悪、敵意、野望などの燃え上がる熱情だった。ほんものの幻滅とは、あんな積極的なものではない。ただ、ぼんやりだ。そうして、ぼんやり厳粛だ。われ、演劇に幻滅せり。ああ、こんな言葉は言いたくない!けれども、なんだか真実らしい。
自殺。けさは落ちついて、自殺を思った。ほんものの幻滅は、人間を全く呆けさせるか、それとも自殺させるか、おそろしい魔物である。

ああ、伸びんと欲するものは、なぜ屈しなければならぬのか!

ああ、断食は微笑と共に行え。

黒いソフトをかぶって、背広を着た少年。おしろいの匂いのする鞄をかかえて、東京駅前の広場を歩いている。これがあの、十六歳の春から苦しみに苦しみ抜いた揚句の果てに、ぽとりと一粒結晶して落ちた真珠の姿か。あの永い苦悩の、総決算がこの小さい、寒そうな姿一つだ。すれちがう人、ひとりとして僕の二箇年の、滅茶苦茶の努力には気がつくまい。よくも死にもせず、また発狂もせずに、ねばって来たものだと僕は思っているのだが、よその人は、ただ、あの道楽息子も、とうとう役者に成りさがった、と眉をひそめて言うだろう。芸術家の運命は、いつでも、そんなものだ。
誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか。
「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」