ヘンリー・ミラー『ネクサス』

裕福な銀行家であれば、さしずめ「きりっと身のひきしまる」とでも言いそうなこんな朝、乞食にはひもじかったりバス代がなかったりする権利はないのだ。乞食は、むごい心の持ち主までが立ちどまり小鳥たちにパン屑を投げてやる、暖かい陽ざしの日のためのものなのだ。

もうそのころ、われわれはキアンティ葡萄酒を味わい、げろが出るほどスパゲティをつめこんでいる。葡萄酒には柔軟体操的効果があった。彼はいくら飲んでも乱れなかった。事実、それが彼のもう一つの悩みだったのだ――酒の勢いを借りても、なお自分を捨てきれないのというのが。

「どうしてわたしが作家にならなかったか、わかるかね?」
「いいえ」この男がそんな気を起こしたこともあるのかと驚いて、ぼくは答えた。
「わたしにはいうべきことが何もないのに、すぐさま気づいたからだよ。要するに、わたしには一度も生活した経験がないということだ危険を冒さずば、収穫もなしってね。そら、東洋のことわざでなんといったかな?『怖るるとは、鳥を怖れて種子を蒔かざるなり』か。まったくそのとおりなんだ」

「いいかい、ドストエフスキーは死んだんだ、もうおしまいなんだ。われわれの出発するのはそこからだ。ドストエフスキーからだ。彼は魂を扱った。われわれは心を扱おうじゃないか」

いかに変化が起こり、いかに芸術を意識し、自分自身を芸術家として意識するにいたったかを、スターシャははっきり説明して聞かせようとしていた。それは彼女が、まわりの人間とはひじょうに違っていたからだろうか?彼女が他の目で見たためだろうか?彼女にはどちらとも決めかねた。だがその変化が、ある日こつぜんとして起こったことだけはわかっていた。いわば一夜のうちに、彼女は天真爛漫さを失ってしまったのだ。それ以後は、すべてが違った相を呈し始めた草花はもはや彼女に話かけず、彼女のほうでも草花に話しかけなかった。大自然を眺めても、一篇の詩かあるいは風景として眺めてしまった。もはや大自然と同体ではなかった。彼女は自分の意志を分析し、改造し、主張し始めたのだ。

「あしたはお給料ね?あたしブラジャーとストッキングを買っていただきたいの。とっても欲しいのよ」
「いいとも」とぼくは答えた。「ほかに何か欲しいものはないかい?」
「ううん、それだけよ、ヴァル」
「ほんとかい?必要なものはなんだって買ってやるぜ――あしたになりゃ」
モーナは恥ずかしそうな目でぼくを見た。
「じゃあねえ、もひとつだけ」
「なんだい?」
「すみれの花を一束」

「いったい彼がどんな本を読んでいたと思うね?」
ドストエフスキーでしょ!」
「いや。もいちどあててごらん」
「クヌート・ハムスン」
「違うね。レイディ・ムラサキ――『源氏物語』さ」

「われわれはみんな空想家さ。ただある者は、早いめに目を覚ましてふたことみこと書き残す。たしかに小説は書きたいさ。しかしぼくは、それが目的のすべてだとは考えてない。なんといったらいいかな?創作ってやつは、夢のなかでもらすウンコみたいなものだ。気持ちのいいウンコにはちがいないが、まず人生があって、それからウンコだ。人生とは変化であり運動であり探究だ……つまり、未知のおの、予期されざるものを求めての限りない前進なんだ。『ぼくは生きた!』と自分でいえる人間は、何人もいるもんじゃない。それだからわれわれには書物というものがある。――書物を読むことによって、他人のさまざまな人生を生きることができるからね。しかし、作者もまた身代わりの生き方をしているわけだ――」

そういえば、キリストは大工だった!彼は教会を建てた、だが木片や石の教会ではなかった。

おそらく東洋芸術に接したときのあの歓喜は、この人間の平等化(おとび尊厳化)、あらゆる生命とのこの同化、そしてこの極小と極大の同時的融合がもたらしたものであろう。あるいは別の言い方をすれば、自然は(彼ら東洋人にとって)単なる背景ではなく、それ以外の、それ以上の何かであったからだ。なぜなら人間は、神聖ではあろうが、彼の飛び出てきたもとの存在ほど神聖ではなかったからだ。あるいはまた東洋人たちは、生命の混乱を知性の混乱と混同しなかったからでもあろう。こころが――あるいは精神でも魂でもよいが――あらゆるものを通して輝き、崇高な光輝を放っていたからであろう。こうしていやしめられ、抑えつけられても、人間はけっして打ちのめされ、くじかれ、抹殺され、あるいは堕落させられることはなかったのだ。崇高なるものの前に屈従を強いられることなく、人間に浸透し、人間を支えた神秘を解く鍵があるとすれば、それはだれにも手にはいる簡単な鍵であった。秘法めいたものは何もなかったのだ。

そして通例、偉大な名には、悲哀と困難と冷酷な誤解の物語がつきまとう。われわれ西欧の人間にとって、天才という言葉は何か怖ろしさをともなっている。天才――つまり枠にはまらぬ者。天才――平手打ちを喰う者。天才――迫害され、拷問にかけられる者。天才――どん底にのたれ死にする者、流浪のはてに、あるいは火刑にあって非業の死をとげる者。