ジョン・スタインベック『エデンの東』
パスカル・コヴィチへ
友よ。
君はいつか、木で何かの小さな像を刻んで持って来てくれて「なぜ僕にも何か作ってくれないのだ?」と、そう言った。何が欲しい、と、僕が尋ねると、君は、「箱」と、答えた。
「何に使う?」
「物を入れる」
「どんな物を?」
「君の持っているものを何でも」
さて、これが、君に献呈するその箱だ。僕の持っているほとんどすべてのものが中に入っているが、まだ一杯になってはいない。苦悩も興奮も、この中に入っている。快、不快、よこしまな思いもあれば、殊勝な心掛けもあり――考案の楽しみ、そこばくの絶望、言うにいわれぬ創造の喜びも入っている。
それから、それらすべてのものの上に、僕が君に対して抱いている感謝と愛情の全部が入っている。
それでも、まだ、箱は一杯にはなっていない。
ジョン
スペイン人がやって来た時、彼等は、見るものすべてに名前をつけずにおかなかった。これは探検家たるものの第一の義務だ――義務であり、特権である。まず名前を付けてからでなくては、自筆の地図に書き込むわけにもいかぬ。
子供が大人の正体を見破った時――大人が神のような理智を持っているわけでもなく、その判断もときに愚かしく、その思考も時に過ち、その意見も公正をかくことがあるのだということが、深刻な小さい頭の中に初めて入り込んだ時、子供の世界は唯わけもなく荒廃に帰してしまう。神々は転落し、一切の安定が喪失してしまうのだ。そして神々の転落に関しては一つだけ確実なことがある。それは少しだけで止まらず、転落するとなれば、木端微塵に砕け散るか、青黒いどぶ泥深く沈んでしまうかするということだ。それらを再建するのは退屈極まる仕事である。神々はもと通りの光を放ちはせぬ。そして子供の世界は決して完き形を恢復しはしない。いたましい成長の姿である。
「チャールズは怖がらぬ男だ。だから勇気というものについて、何一つ学ぶことが出来ぬだろう。あれは、自分の外部にあるものは何一つ知らぬ。だから、いまおれがお前に説明しようとした事など、あれにはとうてい分るまい。あれを軍隊に入れるということは、あれの中にある、鎖でつなぎとめておかねばならぬもの、放してはならぬものを、解き放すようなものだ。おれは、あいつを軍隊にやる気にはなれんな」
「兄さんの傍まで身体をのり出して、大人に話すみたいにして話しかけてたぜ――言いきかせるんじゃなくて、話しかけてたよ」
アダムは、討伐遂行の一箇の道具に過ぎなかった。彼には、将来の農場の姿など想い描けるわけはなく、見えるものとては、れっきとした人間の引き裂かれた腹だけだったから、そんな討伐に対する反逆を意味したわけだけれど、そんなこと、彼自身は意に介さなかった。彼の胸中に徐々にに形成されて来た反暴力の感情が、遂には一つの偏見となり、偏見というものの例にもれず、思考を破壊するようになったのだ。どんな目的で、どんなものに、どんな危害を加えた場合でも、すべて彼には敵対行為を映るのである。彼はこの感情に憑かれてしまったのだ。というのは、そうした感情というものは、たしかに人に取り憑いてしまうもので、はてはその方面で可能な思考をすべて蔽い隠してしまうものだからだ。だが、アダムの従軍閲歴には、臆病を暗示するものは一つもない。事実、彼は、三度も推賞を受け、次にはその勇気を賞でて勲章を貰いまでしている。
彼が暴力に対する反撥をますます強くするにつれて、彼の衝動はそれと反対の方向に走った。負傷者を収容するために彼は、何度となく自己の生命を賭した。自分が正規の任務で疲れ切っている時でも、野戦病院に働きに行くのを自ら志願した。戦友たちは彼を、軽蔑のまじった愛情と、それから自分には理解出来ぬ衝動に対してひとが抱く無言の恐怖、そんな気持を以て眺めていた。
実を言うと、チャールズは娘達が、底知れず怖かったのだ。それで、たいていの気弱な男の例にもれず、彼もまた、自分の正常な欲求は、売笑婦という匿名の世界で満たしていた。売笑婦には、気弱な男にとって、大きな安全性がある。金は払ってあるのだから、しかも前金で払ってあるのだから、彼女はすでに商品だ。気弱な男も、そういう女ならば、はしゃぐことも出来るし、虐待することさえ出来る。それに、小心者の心胆を寒からしむる、拒絶の可能性を怖れる必要もさらさらない。
時間的間隔というものは、心の中で考えた場合、おかしなもので、矛盾して感じられることがある。型にはまった日常やこれという事件もない時期というものは、長ったらしく感じられると思うのが至当であろう。そうある筈なのだが、実際は違う。全然継続期間を意識させないのが、そうした平穏無事で単調な時期なのだ。興味の飛沫を浴び、悲劇に傷つき、歓喜に裂けた時期――これが、思い返してみる時、長く感じられる期間である。しかし、考えてみれば、これも無理からぬわけで、平穏無事では、継続期間の垂れ幕をかけるべき杭も何もないわけだ。無から無までは、その期間も無に等しいだろう。
「多分、愛していないからこそ信じられるんじゃないかな」アダムは、胸中を模索しながらゆっくりと言った。「俺がもしおやじを愛していたら、おそらくおやじのことで嫉妬しただろうと思うんだ。昔のお前みたいにな。おそらく――おそらく、愛は、人を、邪推深く、疑り深くするんだよ。愛する女が出来ると、自信が持てなくなるというのは本当じゃないかな。――自分に自信が持てないから、女にも自信が持てなくなるのだ。」
「俺の見るところではこうだよ」彼は妻に言うのだった。「俺達はみんな、からだの中に少しばかり悪魔を持っているんだよ。俺は、何か抜け目のないところを持たない子供なんか、欲しくないな。俺の見るところでは、あれも一種のエネルギーに過ぎんよ。それを制御し、調節しさえすれば、実際、正しい方向へ進むものなんだ」
彼女は、アダムと結婚する決心をしただけではない。アダムの求婚以前から、その決心だったのだ。彼女はこわかった。保護の手と金とが欲しかった。アダムは、その両方を、彼女に与えることができる。それに、アダムなら、彼女が操縦することもできる――彼女はそれを知っていた。人妻になるということは、彼女の望むところではなかったけれど、当座、それは避難所になる。ただ、気がかりな点が、一つだけあった。アダムには、彼女の理解し得ぬあたたかな感情が宿っているのだ。そんな感情など、彼女は彼に対して抱いてもおらず、これまで誰に対しても感じたことのない感情だった。また、エドワーズ氏には、彼女も、心からおびえてしまった。その場を思い通りに切りまわす力を失ったのは、生れて以来、あの時たった一度だけだった。あんなこと二度とないようにしよう、そう彼女は、心に堅くきめていた。チャールズが何というだろう、そう思うと、ひとりでに彼女の顔には微笑が浮んだ。彼女は、チャールズに、肉親のような親しみを感じていた、チャールズの自分に対する疑念など、何とも思っていなかった。
人類は唯一の創造的な生物であり、唯一の創造的な道具、すなわち、一個の人間の独自の心と精神とをもっている。どんなものでも決して二人の人間によって創造されたものはないのだ。音楽であれ、美術であれ、詩であれ、数学であれ、哲学であれ、いい共同製作というものは存在しない。一たび創造の奇蹟が起ったときには、集団はそれを築きあげ、拡張することはできるが、集団は決して何ものをも発明することはできないのだ。その貴重さは一個の人間の孤独な心の中に宿っているのである。
そして今や、集団の概念の廻りに配置された軍勢が、その貴重さに対して、人間の心に対して、絶滅の宣戦を布告しているのだ。誹謗により、飢饉により、鎮圧により、強制指令により、そして条件制約というどぎもをぬくようなハンマーの打撃によって、自由な、放浪する心が追跡され、縄にかけられ、鈍らされ、ひきずり廻されているのである。これが人類のとっていると思われる悲しい自殺的なコースなのだ。
そして、私はこう信じる――個々の人間の自由な、探求的な心こそ、この世でもっとも貴重なものである、と。そして私は次のもののために戦うだろう――だれにも命令されずに欲するがままの方向をとろうとする心の自由のために。また、私は次のものと戦わねばならない――個人を制限し、破壊する一さいの理念、宗教、あるいは政府と。これが私の姿であり、私がかかわっていることである。私は、ある型の上に建てられた組織がなぜ自由な心を破壊しようと試みなければならないかを理解することができる。なぜなら、それを理解しうることこそ、監視しながらそうした組織を破壊しうる一つの力だからである。たしかに私はそれを理解することができる。そして私はそれを憎み、創造力のない動物から私たちを截然と区別する唯一のものの保存のために戦うだろう。もし栄光が抹殺されるようなことがあったら、私たちは破滅するのだ。
キャシーが何であったにせよ、彼女はアダムの中に栄光を投げいれた。彼の精神は昂揚して空をかけめぐり、彼を、怖れと悲痛と腐臭を放つ思い出から解放した。栄光は世界を照らし、曳航弾が戦場を一変せしめるように世界を変えてしまうものだ。たぶんアダムはほんとうのキャシーをちっとも見ていなかったのだろう。それほど彼女は彼の眼の光を受けて輝いていたのだ。彼の心の中には、美とやさしさの映像、考えも及ばないほどに尊い、清潔で愛情豊かな、美しい聖なる女の映像が燃えていたのであり、その映像こそ彼の妻キャシーその人にほかならなかったのだ。そして現実のキャシーのすることもいうことも、決してアダムのキャシーをゆがませることはできなかったのだ。
学問には一つの障壁があった。普通の人間は、子供たちが読んだり計算したりすることをのぞんだが、しかもそれだけで十分なのであった。それ以上のことをさせれば、子供たちは不満を感じたり、気まぐれになったりするかもしれなかった。そして学問というものは、少年を農場から追いやって都会に住まわせ――父親よりも自分の方がすぐれているというふうに少年を思いあがらせるものだということを証拠だてる例はたくさんあったのだ。
ライザは夜明け前に起きでたのだった。彼女はいつもそうしていた。彼女にとっては、明るくなってからベッドに横たわっていることは、暗くなってから外に出ているのと同じだけ罪深いことにほかならなかった。そのどちらにも美徳は決してありえなかった。
「わしは火薬を取りにうちへ帰って、穴あけ機を研がなくちゃならんわい。おまえたちもわしといっしょに帰ったらどうだい?そうしたら、母さんがびっくりしてブツブツいいながら一晩じゅう料理をしてくれるよ。母さんは、そんなふうにして自分の喜びを隠す人だからな」
「金をもうけるただ一つの方法は、ほかの人間がつくったものを売るということなのさ」
いい保安官は、ただほかの一さいの手段が失敗したときにのみ、逮捕礼状を執行した。一番いい保安官は、一番いい闘士ではなく、一番いい外交官なのだった。そしてモンテレー郡はいい保安官をもっていた。彼はやたらにおせっかいをしないという輝かしい才能をもっていたのだ。
「どうやら、人間にどうしても諦められない悪いくせは、忠告するということだといえそうですな」
「わたしは忠告なんかほしくはありませんよ」
「だれだってほしくはありませんわい。それは与えるものの方からする贈り物なんですよ。芝居は最後までお続けなさいよ、アダム」
「芝居って、何ですか?」
「芝居を続けるように、生きているということをしまいまでお演じなさいということですわい。そうすれば、暫くすれば、いや、長いあいだたてば、それが真実になるものですわい」
「わたしにどうしてそんなことをする必要があるんですか?」とアダムがきいた。
サミュエルはふた児を眺めていた。「あなたが何をなさろうと、また、何をなさらないでも、あなたは何かをあとに残しんさることになるんですよ。たとえあなたご自身が作づけをしないで放っておいても、雑草は生えてくるし、いばらも生えてきますわい。何かが成長していきますわい」
危険な、そしてまた微妙な人間の営みにおいては、最後の成功は性急ということによってきびしい制限を受けるものだ。実にしばしば人間は、性急になることによってつますくのである。もし人が、困難な、微妙な行為を適切になしとげようとするならば、彼は先ず達せられるべき目的を検分し、それから一たびその目的を望ましいものとして承認するや完全にそれを忘れてしまって、ひたすらにその手段に精力を集中しなければならぬ。こうした方法をとれば、彼は不安や性急や恐れによって惹きおこされる誤った行動に誘いこまれることはないだろう。この方法を学ぶ人は稀である。
「あの女はあなたを殺すつもりだったんですかい?」
「わたしはほかのどんなことよりもそのことばかり考えて来ましたがね。いいや、あの女がわたしを殺すつもりだったとは思いませんよ。あの女はそのような威厳をわたしに許しはしなかったのです。あの女には、憎しみも激しい怒りもちっともありませんでした。そういうことをわたしは軍隊で教わりましたよ。もし人間を殺したいと思うときには、頭とか心臓とか腹とかを撃つものです。いやいや、あの女は自分のねらったところを撃ったんですよ。わたしは銃身が動いていったのを今でも眼に見ることができます。もしあの女がわたしの死を望んでいたのなら、わたしはそれほど気にかけなかったでしょうよ。それは一種の愛になったでしょうからね。しかし、わたしは邪魔者にすぎず、敵ではなかったのですよ」
「わしは血なんていうものはあまり信用しませんわい」とサミュエルはいった。「わしは、人間が自分の子供たちの中に善や悪を見いだすときには、子供たちがおなかから生れたあとで、自分がその子供たちの中に植えつけたものだけしか、その人間は見ていないと思いますわい」
彼女は、仕事それ自体が好きなのではない。彼女が仕事をしたのは、それがただそこにあって、それをやりとげなければならないからだった。そして彼女は疲れていた。次第次第に、朝、彼女をベッドにとどめておこうとする痛みやからだのこわばりと戦うのが困難になってきていた――といっても、もちろん、彼女がそれに負けたわけではない。
そして彼女は、天国を、着物の汚れることがなく、食べものを料理したり皿を洗ったりする必要のない場所として待ち望んだ。心の奥底では、天国には、彼女が完全にはうべない得ないものがいくつかあった。あまりにも歌うことが多すぎたし、それに、神の選民ですら、約束された天上の怠惰をそう長く我慢できるとは思えなかった。彼女は、天国にいっても何かする仕事を見つけるつもりだった。人の時間をとることが何かー―雲をいくつかつくろったり、疲れた翼に音楽をすりこんだりすることが何か――あるにちがいなかった。たぶん、時おり着物の裾を裏がえす必要があろうし、ドン詰めまでいけば天国にだって、きれをかぶせた箒ではらい落さなければならないようなくもの巣が、どこかの隅っこにはっていないなどと彼女は信じることができなかった。
「友だちがその場所にいることがわかっているときには、人間はその友だちに会いにいかないものさ。そのうちにその友だちがいなくなってしまうと、会いにいかなかったことを悔やんで、良心をめちゃめちゃにいためつけてしまうものなのさ」
「私は、先輩たちと同じように、午後に二服だけ、それより多くも少なくもなく、アヘンを吸うんです。すると自分が人間であることを感じるんです。そして人間とはたいへん大切なものだ――おそらく星よりももっと大切なものだということを感じるんですよ。これは神学ではありません。私には神々を信じる気もちはありません。しかし、私は人間の魂というあの輝かしい道具に対する新しい愛をもっています。それはいつも攻撃されていますが、決して破壊されることはありません。なぜなら『汝――することあるべし』だからです」
「もしわしが、あなたの病気をなおすかもしれないが、またあなたを殺すかもしれないような薬をもっていたとしたら、わしはあなたにそれをさしあげるべきでしょうかな?ご自身の心の中をよく吟味してごらんなさいよ、あなた」
「どんな薬ですか?」
「いいや」とサミュエルがいった。「もし申しあげたら、わしがいった瞬間にその薬はあなたを殺してしまうかもしれませんわい」
リーがいった。「用心なさいよ。ハミルトンさん。用心してくださいよ」
「これはどうしたというんですか?」とアダムがきいた。「あなたの考えていらっしゃることをおっしゃってください」
サミュエルが静かにいった。「今度だけはわしは用心深くしないつもりですわい。リー、もしわしが誤っているのなら――いいかい――もしわしが過ちを犯しているのなら、わしはその責任をとるし、責めがあるならその責めをすっかり引きうける覚悟だよ」
「あなたは、自分が正しいと確信していらっしゃるんですか?」とリーが不安そうにきいた。
「もちろん、わしは確信してはいないわい。アダム、あなたはその薬がほしいですかな?」
「ええ。何だか知りませんが、わたしにそれを与えてください」
「アダム、キャシーはサリーナスにいるんですよ。あの女は淫売宿をもっているんですわい。この国の果て全体で一番邪悪な、一番腐敗した淫売宿をな。邪悪なものと醜いもの、ゆがんだものと下劣なもの、人間の考えつくことのできる最も悪いことがそこで売り買いされていますわい。かたわ者や畸型の人間どもがそこへ満足を求めにでかけますて。だが、それどころじゃありませんわい。キャシーは、今はケイトという名ですがな。みずみすしい、若々しい、美しいものを取りこんで、彼らを二度と元通りになれないほどのかたわにしているんですぞ。さあ、これがあなたの薬ですわい。あなたにどんなききめを現すか見てみましょうぞ」
「なあ、リー、わしはわしの人生を一種の音楽だと思っているんだよ。必ずしもいい音楽じゃあないが、それでも、形式と旋律はちゃんともっている音楽だとな。でも、わしの人生が完全にオーケストラにならなくなってからもう長いことになるよ。今はただ単音符だけでな――それもいつも変わらぬ悲しみの調べだがな。でもわしのような心をもっているのは、わし一人だけじゃないんだよ、リー。わしには、人生が敗北の中に終ると考えている人たちがわしらの中にあんまり多すぎるように思われるくらいだよ」
リーがいった。「おそらくみんながあんまり金もち過ぎるからなんでしょうね。私は金もちの不満足ほどひどい不満足はないということに気がつきましたよ。人間に食物を与えて、着物を着せて、りっぱな家に住まわせると、その人間は絶望して死んでしまいますよ」
少年たちは不安そうに視線をかわした。彼らは今生れてはじめて女の容赦のない論理を経験したのだった。そうした論理というものは、まちがっているときでさえも、いや、おそらくまちがっているときに特に、相手を圧倒するような力をもつものなのだが。それは彼らにとっては、刺戟と戦慄に満ちた新しい経験だった。
一つの飢えはさらに一つの飢えをとぎすまし、一つの罪はその前の罪を塗りつぶし、こうした飢えた男たちの眼の前で犯された小さな罪が一つの巨大な狂乱のような罪に燃えあがったのです。
子供は尋ねるかもしれぬ。「世の中って一体どんなものか」と。大人もまた、「世の中はどんなにして動いているのか」と、いぶかしむことがあるかもしれぬ。「最後はどうなるのであろう?我々が現に生きている時の、この世の中とは、一体どんなものなのであろう?」
私が思うには、我々が世の中というものを考えるとき、言えることが一つあって、しかも一つしかないのではないか。そしてこれが、いつも我々を脅かし、同時によい刺戟にもなってきているのであって、我々は、絶えず思索し懐疑しながら、真珠のような、薄明の世界に生きているのだ。つまり、人間は、善と悪との網の目に捕らえられているのだ――実生活においても、頭の中でも、飢餓や野心や、貪欲、残酷、そうした面においてばかりではなく、親切をつくし寛容を示す場合においてすらそうなのだ。これが私達の言えるたった一つのことで、感情のニュアンスが違い、知性の程度が様々であっても、ひとしくこのことは行われているのだと私は思う。善と悪ということが、私達が初めて意識に目ざめた時私達の世界を織りなしていた、縦横の糸なのであり、同時に、私達が最後の息をひきとる時、その意識を形成しているものもこれなのだ。野原や河や山が、よし、変ることがあろうとも、経済や風習がいかように変革しようとも、このことに違いはない。これ以外、世の中について言えることはないのだ。人間は、一生の間の塵や埃を払い落とした後には、ただ一つ、単純な難問が残るだけであろう。「自分の一生は善い生涯であったか、悪い生涯であったか?自分のやったことは、善いことだったのか――それとも悪いことだったのか?」
人間に関する物語は、結局一つしかないのだ。すべての小説、すべての詩は、我々の中で、無限に闘われている善と悪との闘争に、その基礎を置いている、そして、悪は常に大量に次から次へとつくり出されていくに違いないけれども、善は、徳は、永遠に不滅なように私には思われる。悪は常に、水々しい若い新顔を見せるに反して、善は世の他のすべてと異なり、年へた威厳をそなえている。
「様子は知らせてくれるだろうね?」
「さあ、どうですか。それは考えものでございますよ。きれいさっぱり切ってしまった方が治りが早いと申します。やっと郵便切手のにかわだけでつながっているという間柄くらいみじめなものはございません。直接見たり聞いたり触ったりできない相手でしたら、いっそ離れきりに離れてしまうのが一番よろしいのですよ」
アロンがもっと賢明だったならば、あるいはキャルも同じ道を行こうとしたかもしれぬ。しかし、アロンの純潔さは、他人をすべて醜と見させる程の容赦なすることを知らぬ苛烈なものとなっていた。二、三度兄の説教をきくと、キャルはひとり高しとする兄の態度に我慢がならなくなり、兄にもそう言った。アロンがキャルを、永遠の地獄に堕ちるがままにまかせた時、それはどちらにとっても救いだった。アロンの信仰は、必然的に、性の問題にぶつかった。彼は、アブラに向かって禁欲の必要を語り、独身生活を送る決意をのべた。アブラは、これは一時的現象だろうと思い、そうした段階の過ぎゆくことを望みながらも、利口な女だっただけに、敢えて異議は唱えなかった。なにしろ彼女はこれまでのところ、独身生活しか知らぬのだから。彼女はアロンと結婚し、いくらでも彼の子供を生みたいと思っていたのだが、しばらく、それにはふれなかった。彼女はこれまで嫉妬を感じたことはなかったけれど、この時はじめて、牧師ロルフに対する本能的な、そしておそらくは正当な憎悪が、身内に湧きおこってくるのを感じた。
キャルは、アロンが、自分で実際に犯してもいない罪を征服したといって得意になっている姿を眺めながら、母のことを兄に話して兄が果してどう対処するかみてみようかと、意地悪いことを思いついたが、その考はいそいで引っ込めた。アロンにはとてもそれを処理することなどできそうもないと思ったのだ。
「子供の頃には誰でも自分がすべての中心でしょう。何でも自分のためにあるんでしょう。他の人々なんて、これはもう、自分が話しかけるためにある影みたいなものにすぎないわよ。でも、大きくなると、自分の位置というものもきまるし、自分なりの大きさ、自分そのままの形、になるでしょう。自分の中のものが他の人達の所へ出て行ったり、他の人達のものが、自分の中に入って来たりするでしょう。こうなるのはつらいことだけど、でも反面とてもいいことでもあるのね」