J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』

悲しい別れでも、いやな別れでも、そんなことはどうだっていいんだ、どこかを去っていくときには、いま自分は去って行くんだってことを、はっきり意識して去りたいんだな。そうでなけりゃ、ますますいやな感じがするもんだよ。

世界中のどんなナイト・クラブだって、長時間坐ってることなんかできるもんじゃない、せめて酒でも買って酔っ払いでもしなければ。あるいは、ほんとにグッとくるような女の子を連れてでもいなければ。

僕は、風呂につかったりなんかして、バスルームの中に一時間ばかしも入ってたね。それから戻ってベッドに入った。長いこと寝つかれなかった――疲れてさえいなかった――が、そのうちにとうとう眠ってしまった。でも、本当は、自殺したい気持だったんだ。窓から飛び降りようかとも思った。もし、地面に落ちたとたんに、誰かがなんかで僕の身体を包んでくれる保証があったら、僕は本当にやっただろうと思う。僕は血まみれなんかになった僕の身体が、物見高い馬鹿どもに見られるかと思うと、それがどうもいやだったんだ。

金の野郎!いつでも、しまいには、必ずひとを憂鬱にさせやがる。

その子供がすてきだったんだよ。歩道の上じゃなくて、車道を歩いてるんだ。縁石のすぐそばの所だけど。子供はよくやるが、その子もまっすぐに直線の上でも歩いていくような歩き方をしてるんだ。そして歩きながら、ところどころにハミングを入れて歌を歌ってるんだ。僕は何を歌ってるんだろうと思ってそばへ寄って行った。歌ってるのは、あの「ライ麦畑でつかまえて」っていう、あの歌なんだ。声もきれいなかわいい声だった。べつにわけがあって歌ってるんじゃないんだな。ただ、歌ってるんだ。自動車はビュービュー通る。キューッキューッとブレーキのかかる音が響く。親たちは子供に目もくれない。そして子供は「ライ麦畑でつかまえて」って歌いながら、縁石のすぐそばを歩いて行く。見ていて僕は胸が霽れるような気がした。沈みこんでいた気持ちが明るくなったんだ。

この博物館で、一番よかったのは、すべての物がいつも尾奈jところに置いてあったことだ。誰も位置を動かさないんだ。かりに十万回行ったとしても、エスキモーはやっぱり二匹の魚を釣ったところになってるし、鳥はやっぱり南に向かって飛んでるし、鹿も同じように、きれいな角とほっそりしたきれいな脚をして、あの水たまりの水を飲んでいるはずだ。それから胸をはだけたインディアンの女も、やはり、あの同じ毛布を織りつづけているだろう。何一つ変わらないんだ。変わるのはただこっちのほうさ。といっても、こっちが年をとるとかなんとか、そんなことを言ってるんじゃない。厳密にいうと、それとはちょっと違うんだ。こっちがいつも同じではないという、それだけのことあんんだ。オーバーを着てるときがあったり、あるいはこのまえ組になった子が猩紅熱になって、今度は別な子と組になっていたり、あるいはまた、エイグルティンガー先生に故障があって代わりの先生に引率されていたり、両親がバスルームですごい夫婦喧嘩をやったのを聞かされた後だったり、道路の水たまりにガソリンの虹が浮かんでるところを通ってきたばかりであったり。要するにどこかが違ってるんだ――うまく説明できないけどさ。かりに説明できるにしても、それをやる気になるかどうかあやしいもんだ。

ビルトモアに着いたときには、まだずいぶん早かったので、僕は、ロビーの大時計のすぐそばにある革の長椅子に腰を下ろして、そこにいる女の子たちを眺めまわした。もう方々の学校が休暇に入っていたので、そこには、立ったり坐ったりしながらボーイ・フレンドの現れるのを待っている女の子がゴマンといたんだ。脚を組んでる子、脚を組んでない子、すばらしい脚をしてる子、みっともない脚の子、見るからにすばらしい女性らしく見える子、知り合ってみたら淫売みたいだったてなことになりそうな子。僕の言う意味がわかってもらえるかどうか知らないが、これは全くいい眺めだった。が、また、いくらか気の重くなる眺めでもあった。だって、やがてはこの子たちの身にどんなことが起こるのかと、終始その疑惑が胸にわいて来るからさ。

『サタデー・イーヴニング・ポスト』やなんかの漫画には、街角に立った男が、約束した時間に相手が来なくてすごくおこってる図があるけれど、あんなのものは、ありゃでたらめさ。会いに来る女の子がすてきな子なら、時間におくれたからって、文句をいう男がいるもんか。絶対にいやしないよ。

「わかったわよ。もうおやすみなさい。どこにいるの、あんた?誰といっしょなのよ?」
「誰ともいっしょじゃによ。おれと僕とわたしだけだ」チェッ、酔っ払ってたんだなあ!

「でも、僕が言いたいのはですね、たいていの場合は、たいして興味のないようなことを話しだしてみて、はじめて、何に一番興味があるかがわかるってことなんです。これはもう、どうしてもそうなっちゃうことがときどきありますよね。だから、相手の言ってることが、少なくとも、おもしろくはあるんだし、相手がすっかり興奮して話してるんだとしたら、それはそのまま話さしてやるのがほんとうだと僕は思うんです。僕は興奮して話してる人らの話って好きなんです。感じがいいですね」

「こう言っているんだ『未成熟な人間の特徴は、ことにあたって高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、ことにあたって卑屈な生を選ぼうとする点にある』」
先生は身を乗り出して、その紙を僕に手渡した。僕は渡された紙に目を通し、それからお礼やなんかを言って、ポケットにおさめた。ここまでしてくれるなんて、親切な人でなければできないことだ。実際そうに違いない。ただ、困ったことに、僕は、そのとき、あまり注意を集中したりしたくなかったんだ。急に、すごく疲れがでちまったんだな。
ところが、先生のほうは少しも疲れていないのがはっきりとわかる。一つには相当酔ってたからでもあるんだが「いまに君も自分の行きたい道を見つけ出さずにはいないと思う」なんて言いだしたんだ「そのときには、そこへ向かって出発しなければならない。しかし、すぐにだ。君には一分の余裕もないんだから。君の場合は特にだ」

「そうか――ヴィンスン先生だったな。そのヴィンスン先生のたぐいを通りぬけてしまえばだ、その後は、君の胸にずっとずっとぴったり来るような知識に、どんどん近づいて行くことになる――もっとも、君のほうでそれを望み、それを期待し、それを待ち受ける心構えが必要だよ。何よりもまず、君は、人間の行為に困惑し、驚愕し、はげしい嫌悪さえ感じたのは、君が最初ではないということを知るだろう。その点では君は決して孤独じゃない、それを知って君は感動し、鼓舞されると思うんだ。今の君とちょうど同じように、道徳的な、また精神的な悩みに苦しんだ人間はいっぱいいたんだから。幸いなことに、その中の何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。君はそこから学ぶことができる――君がもしその気になればだけど。そして、もし君に他に与える何かがあるならば、将来、それとちょうど同じように、今度はほかの誰かが、君から何かを学ぶだろうこれは美しい相互援助というものじゃないか。こいつは教育じゃない。歴史だよ。詩だよ」

雨が急に馬鹿みたいに降りだした。全く、バケツをひっくり返したように、という降り方だったねえ。子供の親たちは、母親から誰からみんな、ずぶぬれになんかなってはたいへんというので、回転木馬の屋根の下に駆けこんだけれど、僕はそれからも長いことベンチの上にがんばっていた。僕はすっかりずぶ濡れになった。特に首すじとズボンがひどかった。ハンチングのかげで、たしかに、ある意味では、とても助かったけど、それでもとにかく、ずぶ濡れになった。でも、僕は平気だった。フィービーがぐるぐる回りつづけているのを見ながら、僕は、突然、とても幸福な気持だったんだ。本当を言うと、大声で叫びたいくらいだった。それほど僕は幸福な気持だったんだ。なぜだか、それはわかんない。ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけている姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、君にもあれは見せたかった。

それはとにかく、その人が、ずっと向こうのもう一つの翼にある手洗いへ行ったときに、D・Bは、僕が、いま君に話し終わった、以上のような事を全部ひっくるめて、どう思ってるのかってきいたんだな。実を言うと、どう思ってるのか、自分でもわかないんだよ。大勢の人に話したのを、僕は後悔しているんだ。僕にわかっていることといえば、僕が話した連中が、いま身辺にいないことをなんとなく物足りなく思ってるということだけさ。たとえば、ストラドレーターやアクリーでさえ、そうなんだ。あのモーリスさえ、なつかしいような気がする。おかしなもんさ。誰にもなんいも話さないほうがいいよ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないことが、物足りなくなって来るんだから。