ジョン・スタインベック『怒りのぶどう』

しばらくすると見守っている男たちの顔から、ぼんやり気をとられた戸惑いが消え失せ、顔はきびしく腹だたしく、反抗的になった。すると、女たちは助かったのを知った。もはや参ってしまうことはない。そこで、女たちはたずねた。どうしたらいいの。男たちは返答した。わからねえ。だが、それで万事がよかった。それで万事いいのが女たちにはわかったのである。見守っている子供たちにも、それで万事いいのがわかるのだった。男たちさえしゃんとしていれば、堪えられないほどのそんな大きな不幸なんかないのだ。女も子供も心の底深く知っているのだった。女たちは家の中へはいって仕事にかかった。子供たちはあそびはじめた。だが、はじめは用心ぶかくだった。一日がすすむにつれ、太陽の赤味が薄れるようになった。太陽は一めん砂塵におおわれた畑土をぎらぎら照りつけた。男たちは家の戸口にすわった。手では木切れや小さな小石をせわしなく動かした。考えながら――もくろみながら――男たちはじっとすわったままだった。

「その、親父はめったに手紙を書く人間じゃねえんだ、書くために書くってことをしねえんだ。だれにも負けねえくらい名前書きはうまくやる、鉛筆だってなめるさ。だけど、おやじは手紙一本書いたことがねえんだ。おやじはいつもいうんだ、口で相手に話せねえことならなにもわざわざ、鉛筆にもたれかかる値うちがあるかいって」

ハローの背後には、長い種播き器だ。――鋳物工場で勃起した十二個の彎曲した鉄の陰茎、規則正しく土地を強姦する。情熱もなく強姦し、歯車装置で興奮の射出をする。運転手は鉄の座席にすわり、自分の意志でないまっすぐな線を誇った。自分のものでなく、自分の愛していないトラクターを誇った。自分では制御できない力を誇った。そうして作物が成育し、収穫されるときまで、熱い土地をだれひとり指でくだきはしない。土を指先でふるいにかけてもみないのだ。だれひとり種子にふれたものはなかった。その成長を心から待つものもいなかった。人びとは自分の手でそだてたものを食べず、パンとの結びつきは何もなかった。土地は鉄の下で死んだ。それは愛されもせず、にくまれもしなかったからだ。祈りものろいも持たなかったからだ。

「いってえぜんてえ、あいつはどこへいくんだろうな」とジョードがいった。「生まれてからカメってやつを見ねえことはねえが、いつもどっかへいくところだな。いつもどこかへたどりつきたがっているふうに見えるな」

「ときどきはな、もの悲しい人間は、自分の口からそっくりそのもの悲しいことを話していいんだ。人殺しをするような人間だって、ときどきはな、自分の口からそっくりその人殺しを話していいんだ。すると、もう人殺しをやらずにすむ。あんたのしたことは、まちがっちゃいねえ。しなくてもすむなら、だれも人は殺しなさんなよ」

彼女は日のかがやきをながめこんだ。顔全体はけっしてやわらかではなかった。よく整っていて、思いやりありげだった。ハシバミ色の目は、すべておこりがちな悲しいできごとを経験し、苦痛や悩みを階段のように一段一段と上がって、ある高い落ち着きと、ある超人間的な悟りにはいってしまっているように見えた。彼女は彼女の位置、一家の城砦で、けっして取って代わることのできない強固な場所、それを知り、それを受け入れ、それを歓迎しているように思われた。彼女が傷心や恐怖を認めないかぎり、老トムも子供たちも、痛手とか恐れとかいうものを知ることができなかったのだ。だから、彼女は自身でそうしたものを実際に否定する習慣になっていたのだった。そして何かうれしいことがおこると、その喜びというものが母親にとってもそうなのかどうか、知ろうとしてみんなはながめた。だからまた、たいしてふさわしくない材料で笑いをつくりあげるのも、彼女の習慣だった。が、その喜びに勝ってすぐれているのは、落ち着きであった。心を取り乱すようなことがなく、それにはだれもが信頼をおくことができた。そして、その一家での大きな謙譲な位置から、彼女は威厳とまったく平静な美を身につけていた。癒やす人としての位置から、彼女の手は確かさと、落ち着きと、ものしずかさとをしだいに帯びるようになった。判断をくだす人としての位置から、彼女は女神のように、人とはまるで違った欠点のない判断をくだすようになっていた。彼女が動揺する場合に、一家の者は身を震わせるのである。自分がほんとうに心の底からぐらついたり絶望したりするとしたら、一家はくずれるだろう。それぞれの働きを
持つ一家の意志は消え失せるだろう、彼女はそれを知っているように思われた。

人びとも夕暮れの中で変わってしまった。物音一つ立てないのだ。ある無意識なものの機構の一部分であるかのように見えた。よく考える心というものの中にかすかに宿っているにすぎないようないくつかの衝動に従った。目は内面に向かい、もの静かだった。そしてその目はまた夕暮れの中でかがやいた。ほこりまみれの顔の中でかがやいたのだった。

父親はしずかにいった。「じいさんは自分の手で自分の父親を埋めたんだ。堂々とやった、自分のシャベルで墓をりっぱに盛ったんだ。人間は自分のむすこの手で埋められる権利を持っていたし、むすこは自分の父親を生める権利を持っていたころのことさ」
「いまじゃちがうって法律じゃいってるな」ジョンおじがいった。
「法律だって時によっちゃいっこうに守られてねえさ」と父親がいった。「ともかくも、いうなりにおとなしく守れねえときだってたくさんあるんだ。フロイトがだらしなくなりやがって、乱暴をはたらくようになっていたとき、警察に引き渡さなきゃならねえって法律じゃいってあるんだが、だれも渡しゃしなかった。時によっちゃだれだって法律をよくしらべて、ふるい分けしなきゃならねえよ。だからおれは自分のおやじをおれ自身の手で埋める権利があるっていってるんだ。だれか何かいうことあるかい」

原因は深いところに、じつに単純に横たわっている。――原因は腹がへっていることだ。それが百万倍になっていることだ。ひとりの人間の内部の飢え、喜びとある安定への飢え、それが百万倍になって増えていることだ。人間の最後の明確な機能――はたらくためにうずく筋肉、単に一つの要求に甘んぜずさらに何かを創造するためにうずく精神――これこそ人間なのである。壁をつくり、家やダムをつくり、そしてその壁たいrやダムの中に人間自身の何かを置く、また壁や家やダムの持つ何かを人間自身に取りもどそうとうずく精神、物を持ちあげてたくましい筋肉が生まれ、その構想から明確な線と型とを引き出そうとうずく精神だ。なぜなら人は、宇宙の組織体非組織体いずれのものとも異なって、自己の仕事を乗り越えてのびそだち、思考の階段を踏みあがり、自己が成しとげたもののさらに前方へと姿を現わすものだからだ。次のことも人間についていわれていいことだろう。――理論が変わって崩壊するとき、学派や哲理やあるいは国家的宗教的経済的思想のせまい暗い小道が成長しそして解体するとき、人間はさらに目的に到達しようと努め、ときとしてはやまちながらもよろめきすすむ。踏み出してから、あとしざりするかもしれないのだが、ほんの半歩だ。まるまる一歩とはもどらない。そういっていいのだ。そしてそのことをわれわれは知るのだ。たしかに知るのだ。爆弾が黒い機上から市の立つ広場に落下するとき、捕虜が豚のように刺殺されるとき、つぶれた人体がほこりの中できたなくどろどろに溶けだすとき、われわれは知るだろう。こんなふうに知ることができるだろう。かりにその一歩が踏み出されていないのなら、そのよろめきすすむうずきが生きいきと生きていないのなら、爆弾は落下しないだろうし、人びとののどもかき切られはしないだろうということだ。爆弾手が生きているのに、爆弾がもはや投下されない、そういうときを恐れるがいい――。なぜなら、あらゆる爆弾とは精神が死んではいないことの証拠だからだ。大地主たちが生きているのに、ストライキが停止している、そういう時をまた恐れるがいいのだ。――なぜなら、どんなに打ちのめされている小さなストライキでも、それは一歩が踏み出されていることの証拠だからだ。そしてわれわれは知ることができるのだ――人間自身が一つの観念のために苦しみもせず死にもしなくなるという時期を恐れよということをだ。なぜなら、この一つの特質こそ人間自体の基礎であり、この一つの特質こそまた宇宙において確然と他と区別される人間なのだからだ。

家の者全部の目がまた母親のほうへ移った。母親は権力者だった。支配する力を握っていたのだ。「金をもうけたってなんの役にも立ちゃしない」といたt。「あたしたいには必要なのは、家族がばらばらにならないこと、それだけなんだよ。ローボー(大狼)がうろついているときぴったりくっつきあっている牛の群れみたいにね。みんなgここにおれば、何もあたしはびくつきゃしない。みんな達者でね」

男たちはしゃがみこんだ。するどい顔つきの男たちだ。飢えのためにやせこけ、飢えとたたかうためにけわしくなった顔。陰鬱な目、強張ったあごだ。豊かな土地が彼等のぐるりにある。
あの四番目のテントにいる子供のこと聞いたかい。
いや、おれはたった今帰ってきたとこだ。
そのね、あの子は眠ったっま泣き叫んでたんだ、眠ったままのたくっていたんだよ。無視がいるんだろうと家の者は思ったんだ。そこで毒消しのましたんだよ、それで死んじゃった。子供のかかったのは黒舌病とかいうやつだ。滋養になるものを食べねえのでなるんだってさ。
かわいそうに。
うん、だけど、家の者は子供を葬うことができねえんだ。村の共同墓地へいかなきゃなんねえんだ。
ふん、なんてこったい。
両手をポケットにつっこんだ。小銭が出てきた。テントの前には、銀貨の小さな山が盛りあがった。そして家族の者がそれに気がつくのだ。
おれたちは善良な人間だ。おれたちは親切な人間なのだ。神よ、やがて親切な人間がすべて貧しくならないように、神よ、いつの日か子供たちにも食べものがありますように。
地主の組合は、そのうちいつか神への祈りのやむのを知った。
そうして、それは最後の日なのだ。

ジョンおじが長いさび釘で地面を深くひっかいた。「やつは罪ってものを知っているんだ。罪ってことについてわしはきいてみたんだが、やつが話してくれたよ。けど、やつのいっていることが正しいかどうかわからねえ。自分で罪を犯していると思うなら、そのときには罪を犯していることになるっていうんだな」ジョンおじの目が疲れてもの悲しかった。「わしはずっと隠しているんだ」といった。「だれにもはなしてねえことをやらかしてるんだ」
母親がたき火のところからふりかえった。「話すんじゃないよ、ジョン」といった。「神さまに向かっていうんだよ。自分の罪を他人に背負いこませるようなことはしないこったよ。穏やかなこっちゃないよ」
「罪ってやつが、わしの身を食いあらしにかかってるんだ」
「それでもね、そんなこと人に話しちゃいけないよ。川下のほうへいって、頭を水の中へつっこんで、流れの中で小さな声でいうこったよ」
母親の言葉を父親がゆっくりうなづいた。「そのとおりだよ」といった。「話しちまえばね、人間ほっと救われるもんだが、自分の罪をばらまくだけさ」

人びとは川の中のジャガイモをすくいに網を持ってやってくる。監視人が追い返す。ぶちすてられたオレンジを拾いに、車をがたつかせてやってくる。が、石油が吹きかけられてある。彼らはじっと立って、ジャガイモが漂い流れていくのを見守る。みぞの中で豚が殺されて生石灰がふりかけられる。その豚の悲鳴に耳をかたむける。山とつまれたオレンジがくずれこぼれ、じくじくにくさっていくのを見守る。人びとの目の中には、失敗の色がうかび、飢えた人びとの目の名kにはしだいにわきあがる激怒の色がある。人びとの魂の中には、怒りのブドウが、しだいに満ちて、大きく実っていく。収穫のときにそなえて、しだいに大きく実っていくのだ。

「男ってものはね、考えてみると、心配ばかりやっておれるものさ。それですっかり腑抜けになっちまって、じきにぐったり寝込んで、元気も何もまるっきりなくなってまいっちまうんだよ。けど、男ってものをひっぱりだしてぷんぷんおこらせるようにすると、そうだよ、しゃんとするもんだよ。おとっさんは何もいやしなかったけど、いま腹を立ててるんだよ。こんどはその証拠を見せてくれるよ。あの人は大丈夫だよ」

トムは落ち着かなく笑った。「そうだな、まあケイシーのいうように、人間って自分のものだっていう霊は持ってなくて、ただ持っているのは大きな霊のほんのひとかけらなんだろうな、だから――」
「だから、なんだい、トム」
「だから、そんなことたいしたことじゃねえよ。だから、おれは暗闇の中のどこにだっているってことさ。どこにでもだぜ――おっかさんがながめれば、そのながめるとこにだぜ」

女たちは男たちを見守った。最後の破局がもうやってきてしまったのかどうか、じっと見守った。女たちはだまって突ったって見守った。なん人かの男たちが寄り集まっていると、そこでは恐怖が男たちの顔から消え失せ、怒りがそれに代わった。そうして女たちはほっとためいきをついた。それでいいのだ。女たちにはわかったからだ。――破局はまだやってこなかった。恐怖の影がはげしい怒りに変わっているものなら、その間は破滅はやってきはしない。
ちっぽけな草の芽が大地から頭を出し、二、三日すると丘はあたらしい年の始まりのために淡い緑であった。