ヘミングウェイ『日はまた昇る』

女というのは友だちとしては実にいいものだ。文句なくいい。まず、友情の基礎をつくるためには、その女に恋をしなければならない。ぼくはブレットと友だちとしてつきあってきた。だが彼女の側のことは考えたことがなかった。ぼくは、無料で楽しみを得てきたわけだ。だが、それはただ支払いの時期をのばしただけだった。勘定書は、かならずくるのだ。これは期待しうるすばらしいことの一つだ。

ぼくは支払うべきものはみんな支払ったつもりでいた。何もかも投げだす女のような支払い方ではない。償いとか罰とかいう考えからでもない。単なる価値の交換なのだ。何かを引き渡して、ほかの何かを手に入れる。あるいは、何かを手に入れるために働く。何かいいものを手に入れるためには、なんらかの方法で代償を支払わなければならない。おれは、自分の好きなものを手に入れるために、ちゃんと代償を払ってきた。それで楽しいときをすごせたのだ。代償の払い方にも、いろいろある――勉強とか、経験とか、危険をおおかすとか、金を使うとか。生活を楽しむということは、払った金に相当する値打ちのものを手に入れる方法をおぼえることであり、またそれを手に入れたら十分に味わうことである。だれでも払った値打ちだけのものは手に入れることができるんだ。この世は買い物をするには絶好の場所だ。これは、すばらしい人生観のような気がする。もっとも、五年もすれば、おれが前に考えたすばらしい人生観と同じように、ばかげたものに思えてくるだろうが。
いや、そうともいいきれないぞ。おれは自分が生きてきたあいだに何かを学んだはずだ。人生の意義といったようなことは、おれは気にしない。おれの知りたいのは、どう生きるかということだ。どう生きるかがわかったら、人生の意義というやつもわかるかもしれない。

これでなんとかなるだろう。こういうものなのだ。女を、ある男といっしょに旅に行かせる。女にまた別の男を紹介し、そいつと駆落ちさせる。今度は、こっちが出かけていって女をつれもどす。電報には「愛をこめて」などと書く。こういうものなんだ。