ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』

あのとき、あなたはあなたの死んだ灰を山にはこんで行った。今日は、あなたはあなたの生きた火を谷にはこぼうとするのか?あなたは放火者として受ける罰を恐れないのか?

かつては霊魂は肉体に軽蔑の眼をむけていた。そして当時は、この軽蔑が最高の思想であった、――霊魂は肉体を、痩せて、醜い、飢えたものにしてしまおうと思った。こうして霊魂は、肉体と大地から脱却できると信じたのである。おお、この霊魂自身のほうが、もっと痩せて、醜く、飢えていたのであった。そして残酷なことをするのが、こうした霊魂の快楽であった!
しかし、わが兄弟よ、あなたがたもわたしに告げなければならない。あなたがたの肉体が、あなたがたの霊魂についてどう言っているかを。あなたがたの霊魂も、貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸ではあるまいか?
まことに、人間は汚れた流れである。汚れた流れを受け入れて、しかも不潔にならないためには、われわれは大海にならなければならない。
見よ、わたしはあなたがたに、超人を教えよう。超人は大海である。あなたがたの大いなる軽蔑は、この大海のなかに没することができる。

あなたの罪が天の審きを求めて大声をあげているのではない。叫んでいるのはむしろあなたがたの自己満足だ。あなたがたの罪のけちくささそのものだ!
だが、その舌であなたがたをやきほろぼすような稲妻はどこにあるのか?あなたがたに植えつけられなければならない狂気はどこにあるのか?
見よ、あなたがたに超人を教えよう。超人こそ、この稲妻、この狂気なのだ!

民衆はどこかに去った。好奇心や恐怖さえも、いつかは倦み疲れるものなのだ。

眠ることは、けっして容易なわざではない。そのためには、なにしろ一日じゅう起きていなければならない。
また一日に十回も、あなたは克己に努めなければならない。そうすれば快い疲労が生じるが、それは魂を眠らせる阿片なのである。
十回も、そのうえあなたは自分自身と和解しなければならない。なぜなら克己するだけなら苦痛が残るから。そして和解しない者はよく眠れない。
十の真理を、あなたは昼間のうちに見つけなければならない。さもないと、あなたは夜になっても真理を探し求めるということになる。あなたの魂は空腹のままである。
十回も、あなたは昼間のうちに笑って、快活を持ちつづけなければならない。さもないと夜になって胃が、この憂愁の父が、あなたの邪魔をするだろう。

ああ、わが兄弟たちよ、わたしがつくったこの神は、人間の作品であり、人間の妄想であった。すべての神々がそうであったように!

感覚は感じ、精神は認識する。それらのものは決してそれ自体で完結していない。ところが感覚も精神も、自分たちがすべてのものの限界であるように、あなたを説得したがる。かれらはそれほどまでに虚栄的なのだ。
感覚も精神も、道具であり、玩具なのだ。それらの背後にはなお本物の「おのれ」がある。この本物の「おのれ」が、感覚の眼もってたずねている。精神の耳をもって聞いているのである。
この本物の「おのれ」は常に聞いたり、たずねたりしている。それは比較し、制圧し、占領し、破壊する。それは支配する。それは「わたし」の支配者であもある。
わが兄弟よ、あなたの思想と感情の背後には、強力な支配者、知られざる賢者がひかえている、――それが本物の「おのれ」というものなのだ。あなたの身体のなかに、かれは住んでいる。あなたの身体は、かれなのだ。
あなたの最善の知恵のなかよりも、あなたの身体のあんかに、より多くの理性があるのだ。そして、あなたの身体がなんの目的で、あなたの最善の知恵を必要とするのか、誰がそれを知っているだろう?

すべての書かれたもののなかで、わたしが愛するのは、血で書かれたものだけだ。血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。
他人の血を理解するのは容易にはできない。読書する暇つぶし屋を、わたしは憎む。
読書がどんなものか知れば、誰も読者のためにはもはや何もしなくなるだろう。もう一世紀もこんな読書がつづいていれば、――精神そのものが腐りだすだろう。
誰でもが読むことを学びうるという事態は、長い目で見れば、書くことばかりか、考えることをも害する。
かつては精神は神であった。やがてそれは人間になった。いまでは賤民にまでなりさがった。

「わたしがこの木を両手でゆすぶろうとしても、わたしにはできない。しかしわれわれの目に見えない風は、この木を苦しめ、どうにでも曲げてしまう。われわれは目に見えない手によって、ひどく曲げられ苦しめられるものだ」

「――まったく、人間は木と同じようなものだ。
高く明るい上の方へ、伸びて行けば行くほど、その根はますます力強く、地のなかへ、下のほうへ、暗黒のなかへ、深みのなかへ、――悪のなかへとのびて行く」

「わたしが高くのぼろうとしたとき、わたしはわたしの破滅を求めていたのだ。そして、あなたこそ、わたしが待っていた稲妻なのだ!まったくそうだ、あなたがわたしたちのもとに姿を見せてからは、わたしの存在などは何だというのだ?あなたへの嫉妬こそ、わたしを打ちのめしたのだ!」

かれらの箴言はこうだ。「この世に生きつづけているのは愚か者である。まったくそれほどまでにわれわれは愚か者なのだ!このことこそ、人生における最も愚かなことである!」――
「生きることは、悩むことにすぎない」――と、またある者は言う。それは本音である。それなら、あなたがたの人生が終結するように、意を用いたらどうだろう!たんに悩むだけという人生が終結するように、意を用いたらどうだ!
だからあなたがたの十戒はこんんあふううになる。「あなたは殺さなければならない、――自分自身を!あなたは盗まなければならない、――自分自身をこの世からこっそりと!」――
「情欲は罪である」と、死を説教するある者は言う、――「わたしたちはこれを避けよう。子供を産まないようにしよう!」
「子供を産むのは苦労である」と、他の者は言う、「それなのに何のために産むのか?産まれてくるのは不幸な人類だけではないか!」かれらもまた死の説教者である。
「同情を忘れるな」――と、また他の者は言う。「わたしの持ち物を持っていってくれ!わたしの存在も持っていってくれ!それだけますますわたしは人生に束縛されなくなる!」
もしかれらが徹底的に同情深い者なら、かれらは隣人の人生を堪えがたいものにすべきではないか。悪意を持つこと――これが真の善意となるはずだ。

善人も悪人も、すべての者が毒を飲むところ、それをわたしは国家と呼ぶ。善人も悪人も、すべてがおのれ自身を失うところ、それが国家である。すべての人間の緩慢なる自殺――それが「生きがい」と呼ばれるところ、それが国家である。
この余計な人間たちを見るがいい!かれらは創意ある人たちの所産や賢者たちの数々の宝を盗みだし、この窃盗を教養と呼んでいる、――しかもこうした一切がかれらの病気となり、わざわいとなっている!
この余計な人間たちを見るがいい!かれらはつねに病気である。かれらは胆汁を吐き、それを新聞と呼ぶ。かれらはおたがいを貪り喰い、しかも消化することもできない。
この余計な人間たちを見るがいい!かれらは富を手に入れ、それによってますます貧しくなる。かれらは権力を欲する。そこでまず権力をつくりだす金梃である、おびただしい金銭を求める、――この無力な者どもは!

友のなかに、自分の最善の敵を持たなければならない。あなたがかれにさかるとき、あなたの気持が、かれにもっとも接近していなければならない。
あなたはあなたの友の前では、衣服をぬぎたいと思うのか?あなたがありのままの自分をかれに見せるのは、あなたの友にとっての栄誉だというのか?だがかれは、そいつはまっぴらごめんだ、と言うだろう!
自分をすこしもおおい隠さなければ、ひとを怒らせてしまう。素裸になるのをおそれる理由は、あなたがたにはありすぎるくらいだからだ!そうだ、もしあなたがたが神々だったら、衣を身にまとうのを恥じてもいい!

女は何もかも謎だ。だが女の一切の謎を解く答えはただ一つである。それはすなわち妊娠である。
女にとっては、男は一つの手段である。目的はつねに子供なのだ。だが、男にとっては、女は何であろうか?
真の男性は二つのものを求める。危険と遊戯である。だからかれは女性を、もっとも危険な玩具として、求める。
男性は戦いのために教育されなければならない。そして女性は戦士の休養のために教育されなければならない。それ以外の一切は、愚劣である。
あまりにも甘い果実――それは戦士の口に合わない。だから戦士は女性を好むのだ。どんなに甘い女性でも、やはり苦いものだ。
女性は男性よりも、子供たちをより良く理解する。ところが、男性は女性よりも、子供に近くできている。
真の男性ならば、かれのなかには子供が隠れている。それは遊戯をしたがる。さあ、女性たちよ、男性のなかの子供を発見してごらん!
女性は玩具でありなさい。きよらかな、美しい玩具でありなさい。まだ存在していない世界のもろもろの徳がある。そのかがやきを映した宝石にひとしいものでありなさい。

男性の幸福は「われは欲する」である。女性の幸福は「かれが欲する」である。
「さあ、今こそ世界は完全になった!」――愛のすべてをささげて服従するとき、女性はみなこう考える。
女性は服従することによって、みずからの表面に対する深みを見いださなければならない。女性の心理は表面である。浅い湖沼の波たち騒ぐ皮膚である。
だが男性の心情は深い。かれの奔流は地下の洞穴のなかで、音たてて鳴る。女性は男性の力をおぼろに感じる。しかし理解することはできない。

わたしが願うのは、あなたの勝利と自由が、子供をあこがれ求めることだ。あなたはあなたの勝利と解放のために、生きた記念碑を築くべきなのだ。
あなたは自分自身を超えて築かなければならない。とはいえ、まずあなた自身が、身体も魂もしっかり築かれていなければならない。
たんに生みふやして行くのではなく、生み高めて行かなければならない。結婚の園をそのために役だたせるがいい!
ひとつのより高い身体を、あなたは創造すべきである。第一運動を、自力で回転する車輪を。――創造者をこそ、あなたは創造しなければならない。
結婚、とわたしが呼ぶのは、当の創造者よりもさらにまさつ一つのものを創造しようとする二人がかりの意志である。そのような意志を意志する者として、相互に抱く畏敬の念を、わたしは結婚と呼ぶのだ。

わたしは誰もが慎重に調べて、物を買うのを見た。誰もが抜け目のない目つきをしている。しかし妻を買うとなると、おそろしく抜け目のない男も、袋入りのままで買う。
短期間の多くの愚劣事――それがあなたがたのあいだでは、恋愛と呼ばれている。しかしあなたがたの結婚は、短期間の多くの愚劣事にけりをつける。唯一つの長期間の愚鈍がこれにかわる。

彼女は変わりやすく、手におえない。わたしはしばしば、彼女が憤って、唇をかみ、髪を逆けずりしているのを見た。
もしかしたら、彼女は性悪の、だめな女なのかもしれない。要するに、女性なのだ。しかし彼女が自分自身のことを悪しざまに言うときほど、彼女がひとを誘惑するときはない。

『生存への意志』というようなことばを矢にして、真理を射ぬこうとした者は、もちろん命中するはずがなかった。そんな意志は――ありえない!
なぜかというなら、生存しないものは、意志することができない。またすでに生存しているものは、どうしてことさら生存を意志することができるだろう!
生のあるところにのみ、意志もまたある。しかし、それは生への意志ではなくて、――わたしはあなたに教える、――力への意志なのだ!
生きている者にとっては、多くのものが生そのもの以上に高く評価される。しかしこうした評価そのものから――力への意志が語っている!

まことに、わたしはあなたがたに言う。恒常不変の善と悪、そんなものは存在しない!善と悪は、自分自身で自分自身をくりかえし超克しなければならない。

ああ、天と地の間には、詩人だけが夢みることのできる多くの事物がある!
ことに、天上に、それがある。というのは、すべての神々は、詩人の比喩であり、詩人の騙りものだからだ!

多くのものを見るためには、おのれを度外視することが必要だ。――この苛酷さがすべての登攀者には必要である。
いったい認識者として、しきりに目を凝らしたりする者が、どうして物事の前景以上のものを見抜くことができようか!

「偶然」――これは、この世で最も古い貴族の称号である。これを、わたしは万物に取りもどしてやった。わたしは万物を、およそ目的にしばられた奴隷制から救いだしてやった。
わたしは万物の上に、こうした自由と天空の晴れやかさを、さながら紺碧の鐘のようにはりわたした。およそ万物を支配し、動かしている神的な「永遠の意志」などはありえないと、わたしが教えたことによって。
そうした意志のかわりに、わたしはあの驕りと狂愚を置いた。「どう考えてもありえないことが一つある。――すなわち合理性だ!」と、わたしが教えたことによって。
なるほど、ほんの一かけらの理性、星から星へ撒きちらされた知恵の一粒、――このパン種は、万物に混入されている。しかし、知恵が万物に混入されているのは、狂愚に役立つためだ!
ほんのわずかな知恵は、たしかに可能である。だがわたしが万物において見いだした確実な幸福は、万物がむしろ、偶然の足で――踊ることを好む、ということにある。

沈黙がかえって内心を暴露することもあるが、わたしの沈黙は何も語らない域に達した。これがわたしの大好きな悪意の術である。

地上には多くのみごとな産物がある。あるものは有用であり、また他のものは快適である。それらによって地上は愛すべきものとなっている。
そこには実によくできた多くの産物がる。たとえば女の乳房といったぐあいに、有用であって、同時に快適といったものもある。

だが、あなたがた、この世に倦んじた者たちよ!あなたがたは、地上のなまけものなのだ!あなたがたには鞭をくわせるよりほかあるまい!鞭でひっぱたいて、あなたがたをふたたび奮起させなければなるまい。
なぜなら、あなたがたは、大地からあいそをつかされた病人か、おいぼれの生き残りでないとすれば、狡猾ななまけものか、忍び足であるく、意地のきたない快楽の猫だからだ。そして、あなたがたがふたたびよろこび溢れて走り出す気になれないのなら、この世を――立ち去ってもらわなければならない!
不治の病人にたいして、ひとは医者になろうと思っては鳴らない。これがツァラトゥストラの教えである、――だから、あなたがたのほうからおさらばしてもらわなければならない!
しかし、けりをつけるには勇気がいるものだ。結びは、詩句を書きおこすよりもむずかしい。すべての医者と詩人は、このことを知っている。

おきてこい、深淵の思想よ、わたしの深みから出て来い!眠り呆けた怪物よ、わたしはおまえの雄鶏だ、夜明けだ。起きろ!起きろ!わたしの朝を告げる声が、おまえをめざましてやる!
おまえの耳の閂をはずせ、よく聞け!こちらもおまえの声を聞きたいのだ!起きろ!起きろ!つんぼの墓にも聞こえるほど、いくらでもどなってやろう!
おまえの目の眠気を拭きとれ!おぼろに霞んだものを拭きとれ!目からも、わたしの言うことを聞け!わたしの声は、うまれつきの盲目さえ癒す霊薬だ!
そして、目をさましたら、おまえが二度と眠りこんではならぬ。曾祖母たちを眠りから呼びさましておいて、――また「眠りつづけてくれ!」といいつけたりする歌劇は、わたしの好みではない!
動き出したな?身を伸ばし、のどを鳴らしたな?起きろ!起きろ!のどなど鳴らさず、はっきり物を言え!おまえを呼んだのは、神を無みする者ツァラトゥストラだ!
このツァラトゥストラ、生の代弁者、苦悩の代弁者、円環の代弁者――が、おまえを呼ぶのだ、わたしの深淵の奥底にすむ思想よ!うれしや!おまえはやってくる、――おまえの声が聞こえる!わたしの深淵が口をきく!わたしの最後の深みに、わたしは日の目を見させてやった!
ありがたい!近よってくれ!手をわたせ!――うっ、放してくれ!うっ、堪らぬ、――嘔吐、嘔吐、嘔吐―――なさけなや!

わたしは近づくおまえを恐れ、遠ざかるおまえを愛する。おまえが逃げれば、わたしは誘われ、おまえが求めてくれば、わたしは立ちすくむ。――わたしは苦悩する。しかし、おまえのためなら、どんな苦悩にもよろこんで耐えてきた!
そのつめたさがひとの心を燃えたたせ、その憎しみがひとの心を誘惑し、その逃れがひとの心を束縛し、そのあざけりが――ひとの心にやさしくしみるおまえよ。
――だれでもおまえを、この大いなる束縛者、篭絡社、誘惑者、探求者、発見者を憎まないではいられない!だれでもおまえを、この無邪気で、あわただしく、疾風のようで、子どもの澄んだ目をした罪の女を、愛さないではいられない!

あなたがたが絶望におちいっていること、そこには多大の敬意を払うべきものがある。なぜなら、あなたがたはあきらめることを学ばなかったのだから。小さな知恵を学ばなかったのだから。
というのは、今日、主となり支配者となっているのは、小さな人間たちであり、かれらはみなあきらめと謙遜と抜目なさと勤勉と顧慮その他、限りなくつづく小さな美徳を説くのだ。
女々しいもの、奴隷根性、とりわけ何もかもごたまぜにする賤民精神、そうしたものがいまや人類の運命をいっさい支配する者になろうとしている、――おお、嘔吐!嘔吐!嘔吐!

高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ!高きところへは、他人によって運ばれては鳴らない。ひとの背中や頭に乗ってはならない!
あなたは馬で登ったというのか・いそいで目標に着くのは、これにかぎるというのか?よかろう、わたしの友人よ!だが、あなたの萎びた脚も、いっしょに馬に乗って行く!
目標について、馬から飛びおりるとき、「ましな人間」よ、ほかならぬあなたの山頂で――あなたはころぶだろう!

「思うに、恐怖心なるものは、――われわれの例外にすぎない。これに反して勇気、冒険、不確かなもの、まだ誰も手をつけていないものへのよろこび、――要するに勇気こそは、人間の一切の先史学だと、わたしには思われる。人間はきわめて原始的な、勇気ある動物どもに嫉みを感じ、そのすべての長所を奪い取った。こうして人間ははじめて――人間になった。
この勇気、ついには洗練され、精神化され、知性化されたこの勇気、鷲のつばさと蛇のかしこさを備えた人間的勇気、――それがわたしの勧化では、今日――」
ツァラトゥストラの名で呼ばれているものだ!」と、そこにいわせた者は口を揃えて叫んだ。そして大笑いした。するとなにか重い雲のようなものが一同から離れて上方へ逃げていった。

「完全になったもの、すべての熟れたものは――死にたいと思う!」と、おまえは言う。葡萄摘みのナイフは、讃えらるべきかな!しかしすべての未熟なものは行きたいと思う。あわれ!
嘆きは言う、「終わってくれ!去ってくれ!こんな嘆きは!」と。しかし、すべての苦悩するものは行きたいと思う。成熟し、よろこびをおぼえ、あこがれを抱きたいと思う。
――あこがれは、より遠いもの、より高いもの、より明るいものに向かう。「わたしはあとを嗣ぐ者がほしい」と、すべての苦悩するものは言う。「わたしは子どもがほしい。このわたしではなく」。――
よろこびは、しかし、あとを嗣ぐ者を欲しない。子どもたちを欲しない、――よろこびは自己自身を欲する。永遠を欲する。回帰を欲する。一切のものの永遠の自己同一を欲する。
嘆きは言う、「心臓よ、破れよ!血を出せ!脚よ、歩け!翼よ、飛べ!苦痛よ、高く!上へ!」と。それもいい!それもいい!おお、わが親しい心臓よ。嘆きは言う、「終わってくれ!」と。