モーパッサン『ピエールとジャン』

(小説について)

才能は独創性から生まれるが、独創性とは、その作家特有の考え方、見方、理解のし方、判断のし方なのである。ところで、批評家が自分の好みのいくつかの小説をもとにしてつくりだした考えにしたがって、「小説」というものを定義し、小説の構成について、なんらかの不変の規則を定めようとするならば、その批評家は、新しい様式をとりいれようとする芸術家の気質と、つねに戦うことになるのは当然だろう。真にその名に値する批評家は、主義主張に固まらず、好悪の感情に左右されず、冷静さに徹しきる一個の分析家でなければならず、絵画の鑑定人のように、彼の目の前に提示される芸術作品の、芸術的価値だけを評価すべきなのである。彼の理解力はあらゆるものにむかって開かれているべきであり、自分の個性を完全に消そうとしてこそ、はじめて、ひとりの人間としては愛せなくとも、判断する者としては理解しなければならない書物を見出し、それを賞賛することができるのである。

要するに、読者大衆とは、われわれにこう叫ぶいくつかのグループから成り立っているのだ。
――なぐさめてくれ。
――楽しませてくれ。
――悲しませてくれ。
――感動させてくれ。
――夢を見させてくれ。
――笑わせてくれ。
――ぞっとさせてくれ。
――泣かせてくれ。
――考えこませてくれ。
ただ、ごく少数の選ばれた精神の持主だけが、芸術家にこう要求する。
――あなたの気質にしたがって、あなたにもっともふさわしい形式で、なにか美しいものをつくってくれ、と。

まったくの話、今のような時代になってもなお物を書こうとするのは、それは、よほどの狂人か、よほどの図々しい男か、よほど自惚れのつよい男か、あるいはよほどのばか者であるはずだ!性質も千差万別、才能も多種多様の、あんなにも多くの巨匠たちのあとで、なにが手つかずで残されているだろうか?なにが語られずに残っているだろうか?似た感じのものをどこにも見出せない一ページを、いや一句を書きえたと言って、われわれのうちいったいだれが誇れるのだろうか?われわれは、フランス語で書かれたものをうんざりするほど見聞きして、自分たちのからだは隅々まで言葉を捏ねてつくられたという印象をいだいているほどだが、そんなわれわれがなにか書物を読むとき、まだ見たことのない、少なくとも漠然とした予感めいたものも感じられない一行の文章まるいはひとつの観念を見出すことなど、はたしてあるのだろうか?

天才たちには、たぶん、こんな不安、こんな苦悶はないのだろう。なぜって、彼らの内部には、抑えても抑えてもわきあがる創造力があるからである。彼らはみずからを批判したりはしない。それにくらべて、われわれ凡人は、みずからの力を知って粘りづよく働くほかないわれわれは、絶えざる努力によってしか、うちかちがたい失望感と戦うことができないのである。

兄弟同士、あるいは姉妹同士には漠然とした嫉妬心、ねむっている嫉妬心があって、それは一人前になるまでは表面に出ることなしに成長し、たとえば一人が結婚するとか、突然幸福になるとかいう機会に爆発するものである。

ピエールはつぶやいた。つぶやいたつもりだった。でもそれははっきりした声になっていた。
「ああきれいだ。おれたちはまったくくだらんことでくよくよするもんだなあ」

目を細めながら彼は戸棚のほうへ行き、それを開いて小びんをえらびだして持ってきた。彼はからだを動かすにもなにをするにも、こせこせしていて、悠然としたところがなかった。腕を伸ばしきるということがなかったし、足も大きく踏みしめることがなかった。はっきりした動作、きまりのついた動作をすることがないのである。彼の考えもその動作と同じようだった。考えのだいたいを示したり、ほのめかしたり、ざっとえがいたり、暗示したりはするのだが、それを言葉ではっきり言うことがない。

「関係ないよ、そんなこと。それだからって、ばかな連中の真似をしろって言うの?同じ町に住んでいる連中がばかだったり、ずるかったりするからといって、その例を見ならう必要はないよ。女のひとだって、近所の女が愛人をもっているからといって過ちを犯したりはしないもの」
ジャンが笑いだした。
「兄さんのそのたとえは、モラリスト箴言集からとってきたみたいだな」

おふくろというのは、おれにとって非の打ちどころのない人間でなくちゃいけない。母親というのは、すべての子供にとってそうでなくちゃいけないんだ。

男と女の愛情とは任意の契約であり、愛情がさめたとしても、不貞をおかすのでなければ罪にはならない。だが女が母親になったときその義務は増大する。自然が彼女に種族を託すからである。もしそのとき女が義務の重さに負けるなら、彼女は卑劣であり、女としての資格も消え、まさに恥ずべきものとなる。

彼の心のなかでは、エゴイズムが誠実の仮面をつけ、あらゆる利害が変装して戦い、格闘し合った。最初の配慮が巧妙な理屈に場所をゆずり、それからまた登場し、またまた姿を消した。