ドストエフスキー『しいたげられた人々』

私の生涯の、このつらかった最近一年間のことが残るくまなく、ひちりでにそれからそれへと思い出される。それを今すっかり書きとめて置きたいのだが、もしこんな仕事でも思いつかなかったら、私は悶々のあまり死んでいたろうと思う。そうした過去の印象のいっさいは、どうかすると今でも私の胸を苦しいほどかきみだす。がそれも筆にのせて記してゆくうちには、むしろ心に安らぎを与えるような、調和のある性質を帯びて来るだろう。少なくとも今までみたいに魘されるような、悪夢のような感じは薄れて行くだろう。私にはどうもそんな気がする。単にものを書くという機械的な動作だけでも、それぐらいの効能はあるものだ。それは心を安らかにする、冷静にする、私の胸に以前作者だったころの習慣を揺りさまして、自分の追憶や病的な夢想を変じて仕事というものにしてくれる、労作というものにしてくれる。……まったく、これはいいことを思いついたものだ。おまけに医員の人に形見もできるというものだ。冬が来て窓の二重枠をとりつけるとき、私の手記を目張りにでも使ったらいい。

私はどうかといえば、自分のしていることがただわけもなく恥ずかしかったのである。まったくの話が、自分は勤めに出るのがいやだ、小説が書きたいのだなどと、どうしてそんなことが正面きって言えようか?だから、就職口がない、一所懸命に捜しているのだけれどなどと気休めを言って、時機の到来まで彼らをごまかしていたのである。

彼はまた年に似合わず子供っぽく、実生活のことはさっぱりわけがわからなかった。もっとっも四十の坂を越してみたところで、どのみちわかりはせぬだろう。こういった人間はいわば、万年小僧と宿命づけられているので、私には彼が好めないという人はなかろうと思われる。だれにだって彼は子供のように甘えるに相違ない。ナターシャの言ったことばは当たっているのだ。私にはまたこうも思える、つまり彼はだれやらかに強い感化を受けて悪事を働くかも知れない。がさて後になって気がついたとしよう、おそらく枯れは慙愧のあまり死んでしまうだろう。ナターシャは本能的に、自分が彼を下に敷き、思いのままにふるまえるばかりか、自分の犠牲にさえもなし得るものと、こう直感したのではあるまいか。事実彼女は正気をなくして愛したり、愛する男を愛するがゆえに痛々しく悩ませたりすることに快楽の前味をしめていたのである。つまりそのためなのでもあろう。まず手はじめにみずからすすんで彼の犠牲となるべく努めたのだった。

実は今日、あれはいきなりわたしを前にして全然思いがけない叡智のひらめきを示すと同時に、ちょっと類のないデリカシイと洞察力を示したのです。あれは困難と思える状態を打開するため、最も確かな道をとりました。あれは人の心に触れて、最も気高い精神を呼び覚ましたのでした。いうまでもなくこの精神、――とは悪に報いるに心を広く持つというものなのです。

「ほんとに一人きりでいい?……」と私は了解に苦しみながら言った。「もっとも、二時間もすればきっと戻るには戻るんだけど……」
「だから行ってらっしゃいな。じゃ、あたしが一年じゅう病気だったら、あんたも一年じゅう外に出られないじゃないの」
と言って彼女はちょっと笑いかけたが、心のうちにきざし出した何かしら親しみのある気持ちを、無理におもてへ出すまいとしているみたいに、異様な眼つきでちらっと私を見たのだった。かわいそうに!彼女がいくら人づき悪いつれないそぶりをしてみたところで、親しみやすく優しいその心は一目でそれとわかるのである。

それは恐ろしい物語だった。自分の幸福を踏みにじられ見捨てられた女の物語なのである。病み、疲れ、もがき、苦しみ、そうしてすべての人から見捨てられた女の物語なのである。最後の望みをかけていた人……その昔彼女にはずかしめられたあげく、耐え切れない恐ろしい苦痛に気も変になった父親からさえ、見限られた女の物語なのである。またそれは絶望の極、まだ赤ん坊とばかり思っていた自分の娘を連れ、うすら寒い汚れたペテルブルグの街々を物ごいして歩いた女の物語でもあった。女は一月後、じめついた地下室で死んでゆく。父親は臨終のまぎわまで娘を赦すのをこばんだ、それでもやっと最後の瞬間、我にかえって赦ししてやろうと駆けつける。しあkしそこに見出されたのは、彼がこの世で一番愛していた娘の代わりに、すでにこときれた冷たい骸だった。それは気の狂った老人と、彼をどうやら理解したその孫娘との間に生じた、神秘のもやにつつまれたつかみどころもない不可思議な物語なのである。孫娘はまだ年はもゆかないのに、世間の子供たちが何不足ない平穏無事な生活を幾年つづけたところで思いも及ばぬことごとを、すべてなめつくしていたのだった。それは悲惨な物語だった。それは重苦しいペテルブルグの空の下、ほかの暗い人目にもつかぬ裏街の、渦まきかえる生活のひしめきだの、鈍りきった精神のエゴイズムだの、さらにまた、いがみ合う利害、うす暗がりの淫蕩、隠れた犯罪といった、すべて無意味にしてけたはずれな生活の地獄絵図のうちに、ほとんど気づかれもせず闇から闇へ葬られてゆく、悲惨で苦悩に満ちた一つの物語だった。……

「さてひとつ、わが詩人、あなたにある神秘な自然を御披露いたすつもりですが、こいつはあなたも全然御存じになっておられないと思いますね。必ずあなたは、これを申せばわたしを罪人とお呼びになるだろう、いやあるいは、見下げ果てた淫欲の悪徳の化身とさえ申されるか知れない。けれども言ってしまいましょう!もしかりにです(もっとも、人間の本性からすれば、決してありえないことですが)、もしかりに、人がめいめい自分の心の秘密をさらけ出すことがあったとしましょう。しかも口にするのも空恐ろしく、人前ではどうにも言えないばかりか、親友の前でも言うのをはばかることを、――いやそれどころか時とすると自分自身に白状するさえ気がひけることを、ためらいもせず丸出しにする、――そうなるとこの地上には、われわれ全部を窒息せしめてやまないような悪臭が漂うでしょうな。そこなのですよ、ちょっと括弧に入れたつもりで申しますけど、われわれ社交界の規約や礼儀が足したものだというのは。その中には意味深い思想が含まれてます、――道徳的だとは申しませんが、ただ予防となって心をなごめる役をする。もちろん、それでもうよろしいじゃありませんか。本質的に道徳も心のなごみも同じことですからな、つまり道徳はただ心をなごめるためにのみ見つけ出されたものだというんです。しかし、この礼儀については後ほど。どうも前後を転倒させてるようですから、あとで忘れていたら御注意願います。まあ、こうして結論しておきましょう。あなたは淫欲や悪行や不道徳の点でわたしを非難なさってらっしゃるが、わたしはただ他人よりむき出しな性質が悪いだけかも知れませんよ。他人が自分自身にさえもひた隠すようなことを、わたしは先ほど申した通りあからさまにする、……それ以外にないのですから。わたしはこれをいやらしいやり方でする、でも今のところはそうしていたいのです。もっとも、御心配はありません」彼は人を小ばかにしたほほえみを浮かべながら、こう言い足した。「わたしが『悪い』と申しましたけれど、べつに謝罪を請うているのじゃありません。今一つ御注意お願いしたいというのは、つまりわたしはあなたを赤面させるつもりなぞ毛頭ないんだし、あなたの心の秘密を引っぱり出して自分をカバーするため、そういうものがおありかどうかなぞとお尋ねしておるのでもありません……わたしは礼儀にかなった、天地に恥じぬ態度を持しておるのですよ……」

「この娘はまたわしの心に戻ってくれた!」と老人は叫んだ。「ああ、感謝申し上げます、神様、何から何まで、怒りにもお恵みにも!……それから今しがたの嵐のあと、わしらの上を照らしてくださった太陽にも!この瞬間全部に感謝いたします!おお!わしらがいくらしいたげられた者でもいい、はずかしめられた者でもいい、またいっしょになれたんだから。今ころやつら傲慢不遜な、わしらをしいたげてはずかしめた連中が、凱歌をあげててもいいぞ!石をほうりつけるなら、ほうりつけろ!こわがることはない、ナターシャ、……みんんあして手を取合って行こうではないか、わしはやつらにこう言ってやる。これはわしの大事なかわいがってる娘だ、この罪とがもない娘を、お前たちははずかしめていじめつけたんだ。だがわしは、わしはこの娘を愛しとる、幾千代かけて祝福してやるぞ!……」