スタンダール『赤と黒』

「ほかにももっといい口がありますので」
この言葉を聞くと、町長の顔色がさっと変った。しかし、落着きを取り戻した。そして、たっぷり二時間、一言も隙のない巧妙な会話が続けられたすえ、百姓のずるさが金持のずるさに打ち勝った。金持は生きるためにずるさを必要としないからだ。

田舎では、すべてがなかなか進まない、すべてが徐々にでき上がる。そのほうがずっと自然なのだ。

たまたまどこかで女とふたりきりになって、話がなくなると、まるでその沈黙が自分の落度のせいであるかのように思われて、屈辱を受けた気になる。こういう感じは、差向いだと、話にならぬくらいやりきれない。女とふたりきりのとき、男はないをいうべきかということで、彼の頭は、ひどく大げさな、スペイン的な考えかたでいっぱいになり、おろおろしてしまって、とんでもない想像しかできない。心はわくわくしているのに、このおよそ屈辱的な沈黙から抜け出せないのだ。

この善良な田舎女は、単純で純真なので、自分の心を苦しめてまで、なにか目先の変った感情や不幸に、わずかながらでも、ふれてみようなどとはしなかった。パリから遠く離れた土地の主婦のつとめといえば、むやみと仕事をすることだが、ジュリヤンが来るまでは、まったく仕事に追われどおしで、レーナル夫人は情熱のことを考えるにしても、われわれが宝くじについて思う程度のことにすぎなかった。だまされるにきまっている。そんな幸福を追いまわすのは愚かものだけだ。

情けないことに、これこそ過度の文明の生む不幸なのである。教育などを受けると、青年は二十で心のゆとりを失ってしまう。ところが、心のゆとりがなければ、恋愛は往々にしておよそわずらわしい義務にすぎなくなる。

こういう場面は計画に予定されてなかった。作戦を立てるなどというばかなことをしなければ、ジュリヤンの鋭い才知は大いに役立ったところなのだし、奇襲を受ければ、かえって、ますます機敏の才を発揮したはずなのである。

理想的なお手本どおりにふるまおうと思っているので、それにはずれたら、やりきれぬ後悔に責め立てられ、一生笑いものになりそうな気がした。要するに、ジュリヤンは非凡な人間であったために、自分の足下に置かれている幸福を味わうことができなかったのだ。十六歳の少女が、かわいい色つやをしているのに、わざわざ紅をつけて舞踏会に出かけるようなものである。

この結婚の奇妙な効果こそ、十九世紀の所産なのだ!恋愛から結婚にはいったとしても、結婚生活のやりきれなさが、この恋愛を確実に滅ぼしてしまう。しかも一方、働かないでいられるほどの金持の場合は、結婚がじきにあらゆる平穏な享楽に対する深いやりきれなさをもたらすものだと、哲学者ならいうだろう。したがって、結婚して恋愛におちいらないようなのは、女のなかでも、情のない女ばかりである。

ジュリヤン自身も知らなかったし、だれも教えてくれようとしなかったことがある。それは、神学校で教わるいろいろの講義や、教会史などの講義で首席になることが、かれら神学生から見れば、目立った罪悪にすぎないということである。ヴォルテール以来、いや両院制度の政治形態となって以来、これは要するに不信と個人的解釈にほかならないし、民心に人を疑う悪習を植えつけることになるので、フランスのカトリック教会は書物こそ真の敵と悟ったらしいのである。教会側から見れば、心からの服従がすべてなのだ。

愚かな自分に気づいて以来、ジュリヤンは退屈しなくなった。彼は自分がどのくらいばかなまねをしたのか知りたいと思った。そのために、いままでは横柄にかまえて、あくまで沈黙を守り、同僚を寄せつけなかったのに、今度はすこしそういう態度をくずして見せた。すると、相手はたちまち報復手段に出た。ジュリヤンが親しくしようとすると、相手は軽蔑をもって迎えたばかりか、嘲笑の的にさえした。

こうして、三時間話し合ったすえ、ジュリヤンは最初の二時間のあいだ求めに求めていたものを手にいれた。もう少し早く、レーナル夫人の心に愛情が立ちもどり、良心の呵責がなくなっていたら、またとない幸福が味わえたろう。このように技巧を弄して手にいれたのでは、単なる快楽にすぎなかった。

「わたくしは生れたときから父親に憎まれてきました。それがわたくしの大きな不幸のひとつでした。けれども、これからは身の上を恨んだりしません。先生が父親になってくださったのですから」
「わかった、わかった」と、神父はてれくさそうにいった。それから、いかにも神学校長らしい文句をうまく考えつくと、「身の上などという言葉をけっして使ってはいけない。いつでも神の摂理といいなさい」

ジュリヤンは、軽い冷やかしの、しゃれた味がまだわからないので、冗談を聞いても笑えない。冗談にもそれ相応の理由があるものと思いこんでいる。

「やりきれませんね!」とジュリヤンがいった。「罪を犯すくらいなら、せめて興味をもってやるべきです。それだけが犯罪のいいところです。そればかりか、そういう理由があってこそ、はじめて多少なりとも犯罪が弁護できるというものです」

それから一時間して、従僕がジュリヤンに一通の手紙を渡した。要するに、恋の告白だった。《文章はあまりきざではない》ジュリヤンはつとめて文学的な批評を加えたりして、うれしさから、頬がこわばり、思わず笑いたくなるのを抑えようとして、そうつぶやいた。

正直なところ、ジュリヤンは凶暴な目つきをし、ものすごい形相になっていた。それは明らかに犯罪意識に燃えた顔だった。社会全体を向うにまわして戦う不幸な男の姿だった。
《武器をとれ!》と、ジュリヤンは叫んで、屋敷の玄関の石段を一足とびに飛び降りた。

「元帥夫人がこの小唄に腹をたてたとき、わたしは注意したのです。あなたのような身分のおかたが、くだらない出版物をいちいちお読みになるものではありません、とね。いかに神信心やまじめな風潮がさかんになろうとも、やはりフランスではキャバレー文学はなくなりませんよ。この小唄作者はつまらん退役士官なのです。で、フェルヴァック夫人がこの男から千八百フランの職を取り上げさせたとき、わたしはいってやったのです、気をおつけなさい、あなたはあの三文詩人を、お得意の武器で攻撃なさったが、相手もお得意の詩で仕返しするかもしれません。貞女気質を小唄にしますよ。金ぴかサロンの連中はあなたの味方をするでしょうが、冗談ずきの連中のあいだでは、その風刺小唄が流行りますよ、とね。すると、元帥夫人はなんと答えたと思いますか?主なるイエスさまのおんために、わたくしが殉教者の道をたどる姿が、パリじゅうのひとの目に映るでしょう。フランスでは珍しい光景になりますわ。一般のひとたちはりっぱなものを尊ぶすべを覚えるでしょう。わたくしの生涯でいちばんすばらしい日となりますわ、というのです。そのときくらい、夫人の目が美しかったことはありません」
「確かにすばらしい目をしていますね」とジュリヤンは叫んだ。
「なるほど、あなたは恋をしていますな……」そういって、ドン・ディエゴ・ブストスは重々しく語をついだ。「それで、あの夫人はですな、とかく復讐を好みがちな、胆汁質の性格ではあにのです。それにもかかわらず、ひとを傷つけたがるのは、不幸だからなのです。どうも、わたしには、内面的不幸のような気がしてなりません。自分の表看板にうんざりしている貞女じゃないですかね」

「出ていってくれ!」だしぬけにどなりつけた。
牢番はおとなしく従った。扉が閉まるか閉まらないうちに、《ああ!あのひとは死ななkった!》ジュリヤンはひざまづき、あつい涙を流して、さめざめと泣いた。
この期に及んで、ジュリヤンは神を信じる気持になっていた。聖職者たちの偽善がなんだ!そんなことで、神という観念の真実性を崇高さは、すこしも失われはしない!
ここに至って、ようやく、ジュリヤンは犯した罪を後悔しはじめた。おりもおり、パリをたってヴェリエールに向ったとき以来おちいっていた肉体的興奮と半狂乱の状態が、偶然おさまった。おかげで、絶望を避けることができた。
ジュリヤンの涙は、高潔な感情から出たものだった。自分の行くさきに死刑が待っていることは、すこしも疑わなかった。

ジュリヤンは、自分はこんなにまでつくしてもらう価値がないと思っていた。実際は、英雄的な行為にうんざりしていたのである。単純で素直な、むしろおどおどした愛情だったら、心を打たれもしたであろう。ところが、気位の高いマチルドの心には、反対に、いつも公衆とか、他人とかいう観念が必要なのだった。

同じ時代の人間の影響はあらそえないな》と、ジュリヤンは、苦笑を浮べながら声に出していった。《死の一歩手前のところで、自分自身と話し合っていてさえ、まだうわべをつくろったりするんだから。……十九世紀だな!