ヘルマン・ヘッセ『ラテン語学校生』

というのは、ひとりの人の初恋というものは、たとえどんなに神聖で甘美であっても、その場かぎりのもので、しかもまわり道にすぎないということを、彼女はみずから自分の生活によって、それもそんなに前のことではなく、苦しい思いをして経験していたからである。そこで彼女は、少年に無用の悲しみを与えないで、事件を乗り越えさせてやりたいと思った。

ティーネの警告はカールにとってにがい丸薬ではあったけれど、彼はそれに従い、不快には思わなかった。たしかに彼は恋愛というものについて多少ちがった考えを持っていたので、初めはかなり失望したが、やがて、与えることは取ることより幸福だ、愛するのは愛されるのより美しく、人を幸福にする、という古い真理を発見した。恋を隠したり恥じたりする必要はない、自分の恋はさしあたり報いられはしなかったが、認められたのだということが、彼に楽しい自由な感情を与え、今までのつまらない生活の狭い範囲から彼を大きな感情と理想のより高い世界に高めたのだった。
女中たちの会合で、彼はそれからいつもヴァイオリンで二、三の小さい曲をひいてきかせた。「これはきみだけのためなのだよ、ティーネ」と彼はあとで言った。「ほかに何もきみにあげることも、つくすこともできないからね」