ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』

人間とは何か、世界はどのようにしてできたかと問わなかった文化はありません。
哲学の問いは、それほどいろいろと立てられるものでもありません。いちばん大切な二つの問いはもう立てました。ところがそれにたいして哲学の歴史が教えてくれる答えは、それこそさまざまです。
だから、問いに答えようとするよりも問いを立てる、このほうが哲学に入っていきやすいのです。

エンペドクレスは、自然には異なる二つの力がはたらいている、と考えた。そしてこの二つの力を「愛」と「憎しみ」と名づけた。ものを結び合わせるのが愛で、ばらばらにするのが憎しみです。

いちばんよく知られたキュニコス学派の哲学者はディオゲネス、アンティステネスの弟子だ。ディオゲネスは樽の中に住み、持ち物といえば体にまとった布と杖とずた袋だけだったという。(これじゃあ、彼の幸せをうばうのはなまやさしいことではないよね!)

修道士の正体がアルベルト・クノックスにちがいないとはいえ、ソフィーは教会の中で不用意にものを言ってしまったことを後悔した。でも、ソフィーは怖かった。人は怖い時、タブーを破ることで恐怖をなだめるものだ。

「本は燃えても世界は無傷だよ、ソフィー。むしろ以前よりもくっきりと、ういういしくなっている。」

「倫理と道徳についても、ヒュームは合理主義の考えに反対している。合理主義者は、正しいことと正しくないことを見分ける力は人間の理性に宿っていると考えた。これは自然法の考え方だけど、ソクラテスからロックまで、たくさんの哲学者たちがこの考えに立っていたね。でもヒュームは、ぼくたちが言ったりしたりすることを理性が決定するとは考えなかった」
「じゃあ、何が決定するの?」
「ぼくたちの感情だよ。きみが困っている人を助けようと決めたら、それはきみの感情がそうさせたんだ。理性じゃない」
「助ける気が起こらなかったら?」
「それも感情がそうさせたんだ。困ってる人を助けないのは、理性的なことでも非理性的なことでもない。あさましいことではあるかもしれないけど」
「でも、これはぜったいっていうことはあるはずよ。ほかの人を殺してはいけないってことは、みんなが知ってるわ」
「ヒュームによれば、すべての人間はほかの人間の幸不幸にたいする感情をもっている。つまりぼくたちには共感する能力があるってことだ。でも、このことと理性はまるで関係ない」
「まだ納得できないわ」
「だれかを抹殺することは、かならずしも非理性的とはかぎらないよ、ソフィー。何かを実現しようとする人にとって、それは合理的な手段だってこともある」
「そんな!わたし、厳重抗議するわ!」
「だったら説明してよ。なぜ邪魔者を消してはいけない?」
「ほかの人だって命を愛しているからよ。だから殺しちゃいけないんだわ」
「それは論理的な説明?」

人間は着々と自然の法則を解きあかしている。けれども、哲学と科学というジグソーパズルの最後の一パースがぴたりとおさまっても、歴史はあいかわらずつづいていくのだろうか?それとも人間の歴史はどんづまりをむかえるのだろうか?いっぽうの思考と科学の進歩、そしてもういっぽうの、人類の滅びにつながるかもしれない大気の温室効果熱帯雨林の伐採、そのあいだには関係がないのだろうか?人間の知りたいという欲望が「堕罪」と言われるのは、そんなにナンセンスではないのでは?

「ぼくたちが理性を手放さないかぎり、少佐のペテンはぼくたちにはつうじない。ある意味で、ぼくたちは自由なんだから。少佐はぼくたちになんだって『知覚』させることはできるだろう。でも、何を見せられても、ぼくは驚かないぞ。このつぎは空飛ぶ象を出してあたり一面を暗くしたって、せいぜい笑ってやるだけだ。でも、七たす五は十二だ。これこそが、少佐がどんなにばかばかしい見物をくいだしても、めげずに生きのびるための認識だ。哲学は悪ふざけとは正反対のものなんだからね」

「どうしてキスしたの?」
「彼の唇を見てたら、もうたまんなくなっちゃった。だって彼、かわいいんだもん」
「どんな味だった?」
「なんか、想像とちがった、でも……」
「じゃあ、あなたあれが初めてのキス?」
「最後のキスじゃないことはたしか」