ヘッセ『車輪の下』

ハンスは彼らをひどく軽蔑し、口をゆがめるために一瞬口笛をふくのをやめたくらいだった。

長い、楽しい、自由な夏の日々が、安心させるように、また誘うように、彼の前に控えていた、遊びほうけたり、水浴びしたり、魚釣りをしたり、夢想したりしてすごす日々が。ただ一つ癪にさわることがあった、すぱっとトップになれなかったことだ。

科学的な人たちはいつも新しい革袋のために古い酒をないがしろにしてきたし、一方芸術家肌の人たちは、かずかずの外面的な誤謬を平気でもちつづけながらも、多くの人々に慰めと喜びとをもたらしてきたのである。これは批判と創造、科学と芸術のあいだに行われる昔からの、どうにも一致しがたい戦いなのだ。この戦いではその言い分の正しさはつねに科学の側にあるが、だからと言ってだれかに役だったというわけではないのに対して、芸術は信仰と愛と慰めと美と不滅感の種子をたえずまきちらし、くりかえしくりかえし豊かな土壌を見いだしてゆく。なぜなら、生は死よりも強く、信仰は懐疑より強力だからだ。

教師の義務、国家から委ねられた使命は、年のいかぬ少年の自然のままの粗野な力と欲望を抑制し、これを根こそぎにして、そのかわりに、穏健中正な、国家によって認められた理想を植えつけることである。今日、幸福な市民や勤勉な役人となっている多くの人々も、学校当局のこの苦労がなかったとしたならば、猪突猛進の革新家か無為の夢想家ととなりはてていたであろう!彼ら少年には何かがある、何か野性的で、無鉄砲で、野蛮なものがある。これをまず打ちくだく必要がある。危険な炎ともいうべきもの、これをまず消しさり踏みにじる必要がある。

父のギーベンラートはこの勉強ぶりを誇りをもって見ていた。彼の鈍重な頭のなかには、自分がおぼろげな尊敬をもって見上げている高みへ、自分という幹から自分をのりこえて一本の枝が伸びてゆくのを見たいという、多くの無学な取るに足らぬ人たちのいだく理想が、ぼんやり生きていたのだ。

「聖書を汚すような話はしなかったかね?」
「ええ、いっぺんもなかった」
「そりゃよかった。というのはな、とくとおまえに言っとくが、魂をそこなうくらいなら、十ぺんもからだをそこなったほうがましなんだ!」

彼の「僧の歌」は、初めは隠遁者流の憂鬱な調子をおびていたにすぎなかったが、しだいに修道院や教師や同級生に対する辛辣な、にくにくしい詩句の集まりになっていった。彼は孤独のうちにすっぱい殉教者の快感を見いだし、理解されないことにかえって満足をおぼえ、仮借なく侮蔑的な僧の歌のなかで、小さいユヴェナイスをもって任じているのだった。

教授たちにとっては、天才といえば、例の悪いやつらだ。すなわち、自分たちを尊敬せず、十四歳で煙草をすいはじめ、十五歳で恋をし、十六歳で居酒屋へ出入りし、ご法度の書物を読んだり、不敵な論文を綴ったり、教師をときおり嘲笑的に見つめたり、日記の中で扇動者と監禁候補者の役割を演ずるやつらなのだ。

われわれの慰めとするところは、真の天才者にあっては、ほとんどつねに傷もみごとに癒着し、学校なぞ無視して立派な作品を創り、他日死んでからは、時のへだたりのこころよい後光につつまれ、幾世代にもわたって、後世の学校教師から傑作として、また高貴な範例としてもちだされるような人物に彼らがなっていくことである。

なぜずっと前にあの美しい枝で首をくくらなかったのか、それは彼自身にもよくわからなかった。考えはきまっていたし、死ぬことはけっちずみの事項であった。それでひとまずおちつけた。そして、ちょうど遠い旅に出る前によくそうするように、最後の何日かのあいだに、美しい陽光と孤独な夢想をなお心ゆくまで味わうことを、彼はしりぞけはしなかった。旅だつことなら、いつでもできた。容易は万端ととのっていたのだ。それに、自発的に今しばらくもとどおりの環境にとどまって、自分の危険な決心を夢にも知らないでいる人々の顔を見てやるのは、一種特別な辛辣な快感でもあった。医者に出会うごとに、「まあ、今にみちるがいい」と、考えずにいられなかった。

何もかもふしぎに変わっていた。美しく、そして心をそそった。しぼりかすで肥った雀はにぎやかに空を飛んでいたが、空がこんなに高く美しく、夢見るように青かったことは、いまだかつてなかった。川がこんなにきれいな、青緑色の、嬉々として笑う鏡をもっていたためしはなかった。堰がこんんあにまぶしいほど白く泡だっていたことはなかった。何もかも描いたばかりのきれいな絵のように、透きとおった新しいグラスのうしろに立っているように見えた。自分の胸のうちにも、ふしぎに大胆な感情と異常なまぶしい希望とが、胸をしめつけるほどに強烈に、不安に、しかし甘く波うっているのが感ぜられたが、そこには、これはただ夢で、決してほんとうにはんり得ないのだという、内気な疑いの不安もつきまとっていた。この分裂した感情は高まってきて、ひそかに突きあげてくる泉となり、なにかあまりに強烈なものが、自分の中で解きはなたれて羽をのばそうとしているかのような気持になるのだった――それはおそらく、すすり泣きか、歌か、叫びか、あるいは哄笑であったろう。

みんなはそういう出来事を事実に即した真剣さでもちだし、世間には実際いろいろなすばらしい才能や風変わりな人間がいるし、またその中には気ちがいじみた変人もあるものだと知って、いい気持になるのであった。こういう気持のよさと、このように事実に即した具体性とは、料理屋の常連である俗人社会の古い尊敬すべき遺産であって、飲酒や政談や喫煙や結婚や死などと同じく、若い者たちによって模倣されるのである。