三島由紀夫『潮騒』

孤独が、彼から、人間の悪意を信じたりする気持をすっかり失くしてしまった。

千代子は白粉気のない顔を、地味な焦茶のスーツでなおのこと目立たなく見せていた。その燻んだ、しかし目鼻の描線がぞんざいで朗らかな顔立ちは、見る人によっては、心を惹かれるかもしれなかった。それなのに千代子はいつも陰気な表情をし、自分が美しくないということを、たえず依怙地に考えていた。今のところこれが、東京で仕込んできた「教養」の最も目立つ成果であった。しかしこれほど世の常なの顔立ちを、そんなに美しくないと考え込むのは、ひどく美人だと思い込むのと同じくらいに、僭越なことだったかもしれない。

新治は煤けた柱時計を何度も見に立った。疑うことに馴れない心は、この嵐を衝いて女が約束を守るかどうかということもつゆ疑わなかった。若者の心には想像力が欠けていたので、不安にしろ、喜びにしろ、想像の力でそれを拡大し煩雑にして憂鬱な暇つぶしに役立てる術を知らなかった。

とまれ古い昔にどこかの遥かな国の王子が、黄金の船に乗ってこの島に流れついた。王子は島の娘を娶り、死んだのちは陵に埋められたのである。王子の障害が何の口碑も残さず、附会され仮託されがちなどんな悲劇的な物語もその王子に託されて語られなかったということが、たとえこの伝説が事実であったにしろ、おそらく歌島での王子の生涯が、物語を生む余地もないほどに幸福なものであったということを暗示する。

新治はすでに待つ辛さを十分に学んで知っていた。そのためには女を待たせればいいのである。しかしそれができない。

いろいろ思いめぐらしていると、時間は意外に早く経った。考えることの不得手な若者は、ものを考えるということのこの思いがけない効能、暇つぶしの効能を発見しておどろいた。が、若いしっかり者は、考えることをきっぱりやめた。どんな効能があろうと、ものを考えるという新しい習慣に、彼が何よりも先に発見したのは、端的な危険であったから。