三島由紀夫『永すぎた春』

百子だけでなく、百子の親しいもの全部が、自分にも親しいものになった。一人の女を愛したことから、社会の一部の或るかたまりが、すっかり自分につながってくることが、ふしぎで仕方がない。

『この娘はどうあっても、結婚まで大事にしておかなければならない。指一本触れてはならない。僕のやるべきことは、早くつた子の体を知った上で、一日も早く、百子のために、つた子を捨てることだ。よし!そう決めたぞ』
こんな考えには、肉体と精神の分裂した青年の観念的な考え方がいかにも露骨に出ていた。それは世間で現代青年の特徴と言われているものだが、いつの時代でも青年にはそういう傾向があり、明治時代の青年は娼家通いで肉体的欲望を処理しつつ、天下国家を論じただけの差があるだけだ。その当時の女には、素人と玄人の二つの別しかなかった。
郁雄は、こんなわけで百子の「清純さ」を、自分の浮気の言訳にするという、月並な心理を辿りつつあった。

中学生は学校の授業なんかよりも、この作業のほうをよほど面白がった。家が崩れるときに、青空にモウモウと上る土埃は、彼ら少年に、自分たちの破壊の力を確信させた。建設よりも破壊のほうが、ずっと自分の力の証拠を目のあたり見せてくれるものだった。

……百子は寝つかれない頭で、今日一日の筋道を辿ってみるが、何もかも信じられず、この幸福がくつがえりはせぬかという恐怖にかられた。何だかこの幸福をくつがえす切札を自分が握っているような気がした。その切札は何だったろう。
『良心という切札だわ』と百子は思い当った。

「だって僕たちは一年の婚約期間で、こういうことを勉強したんじゃないか。つまり二人だけの繭に入っているときよりも、他人のことを考えたり心配したりしているとき、一そう二人の間の愛情が深まるってことを。……それが他人をわれわれの愛情のために利用することになるだろうか?そもそも他人はみんな僕たちのために在り、僕たちは結局他人のために在るんじゃないだろうか?」

「今、何を考えていた?」とやがて郁雄がきいた。
「兄さんのこと」と百子が答えた。そしてふしぎそうに、
「それがあなたのことを考えるのと同じなの。どうしてでしょう。何を考えても、あなたのことを考えるのと同じなの」
「兄さんにすまない、なんて言いっこなしだな」
「そうだわ。誰にもすまないなんて思わない。幸福って、素直に、ありがたく、腕いっぱいにもらっていいものなのね」
百子の永い曲折を辿って達したこの結論が、郁雄にはじめて良人の自信をつけた。