トルストイ『クロイツェル・ソナタ』

実に不思議な事ながら、美は善なりとする幻想が、完全に吾等の心を領する事が往々あります。美しい女が愚劣な事を言ったりした場合には、それが愚劣のように聞こえないで、実に気のきいた聡明な言葉のように思われるのですねえ。美しい女が忌まわしい事を言ったりした場合には、たまらなく魅力のある事を、言ったりしたように思えるのです。況んやその女が愚劣な事も忌まわしい事も喋らないで、その上更に美人だったような場合には、吾々は直ぐにもう、実にすばらしい賢女だ、貞女だとそう思いこんでしまうのだ。

女が一方に於て屈従のどん底に突き落とされながら、しかも同時に、他の一方に於て、支配権を恣にしているという異常な現象の、徹頭徹尾正しい事が、それによって説明されるわけですからね。ユダヤ人は黄金の力によって自分たちの受けた迫害の返報をやっておりますが、それと全く同じ伝で、婦人もそういう行き方をしているのです。
「ああ、あなた方はわれわれが商人に終始する事をお望みですね。よろしい、吾々は商人に終始し、商人としてあなた方を支配してやる。」とユダヤ人たちは申します。
「まァ、あなた方はわたしたちが、肉欲の道具に終始する事を望んでおいでになりますのね。よござんす、それじゃわたしたちは、肉欲の道具に終始し、肉欲の道具としてあなた方を奴隷にしてお目にかけます。」こう婦人は言うのです。

もう一つわたしが得意だったのは、ほかの男たちが結婚前にやってきたような一夫多妻の生活を今後もつづけようという目論見をいだいて、結婚するのに対して、わたしは結婚後は一夫一婦を守ろうと固く心がけていたことです。ですから、この点に対するうぬぼれは、際限もないほどでした。そう、わたしはおぞましい豚のくせに、自分が天使だと思いこんでいたんです。

「何の為に人類は存続しなければならないのでしょう?」
「何の為って事はないでしょう!だって、さもなければ吾々人間は、地球から跡をたってしまうだろうじゃありませんか」
「ですが、じゃなぜ吾々人間は存在しなければならないのでしょう?」
「なぜって話はありませんや!生きる為にきまってるじゃありませんか」
「なぜ生きなければならないんです?何の目的もないとしたら、生命が生活の為に与えられているに過ぎないとしたら、ですね。生きている必要はないじゃありませんか。そういう訳なら、ショペンハウエルや、ハルトマンや、仏教徒たちの説が、全く正しいってことになります。更にまた、よしんば人生に目的があるとしてもですね、そうした場合でも、その目的が達成された暁には、人生が終滅しなければならない事は、自ら明らかじゃありませんか」

不幸な人間にとっては都会の方が暮らしよいです。都会に住み暮らしておりますと、吾々は、自分がとうの昔に死んでしまい、朽ち果ててしまった事を気付かずに、百年も生きて行かれますからねえ。つまり、絶えず雑事に忙殺されております為に、自分自身をしらべている余裕がないのですなあ。

音楽は人の心を高尚にする働きを持つと言われます――が、馬鹿な、そんな事は嘘っぱちです!音楽って奴は、実に恐ろしい作用をします。私は自分の事を言っているのですがね、兎に角それは、人の心を高尚にするなんて、そんな働きは徹頭徹尾ありません。音楽は人の心を高めもしなければ、卑めもしません。ただこれを苛立たしくする作用を有するばかりです。

きわめて単純な、わかりきった事が起らぬはずはない。わたしだって、それが目当てで妻と結婚し、そのために妻といっしょに生活してきたんだし、妻に求めるのはそのことだけなのだから、ほかの男たちやあの音楽家だって、求めるものはあのことに決まっている。あいつは独身で、健康だ(あの男がチキンカツの軟骨をばりばり噛み砕き、赤い唇でワインのコップをなめまわしていたのを、今でもおぼえていますよ)。でっぷり太って、血色がよく、主義をもたぬどころか、明らかに、据え膳は喜んで頂くという主義の持主らしい。おまけにあの二人の間には、音楽という、このうえなく念入りな肉欲の結びつきがあるし。あの男を抑えうるものなどあるだろうか?何もありゃしない。反対に、何もかもがあの男を惹きよせるのだ。