SunnyDayService×Sugiurumn『PARTY LOVE ALBUM』

サニーデイ・サービスのラストアルバム(当時・笑)『LOVE ALBUM』のスギウラムによるリミックス盤『PARTY LOVE ALBUM』。ツアー会場限定販売ということで後追いの自分がCD盤を買ったのは2008年8月のディスクユニオン)。そして今日、遂にアナログ盤も手に入れた!今回もユニオン!大好き!

折りしもサニーデイ10年振りのアルバムが出たタイミングでねえ。そーいや丁度ロキノンのサイトで兵庫氏がレビューしてたけど()アナログは持ってないそうな。激レア!?つか、外装ビニールにサインも入ってるんだけど……てっきり全部に入れてるのかとも思ったが、帰ってから調べたところそんなこともないっぽい?ちなみに30%オフで3000円なってたので助かった〜。とりあえずイッペン聴いたかんじ問題なさそうだし。まー収録内容はCDと同じなんですけども。業が深い。

レッツパーリィ!!

夏目漱石『門』

夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪えかねて、抱き合って暖を取るような具合に、お互いどうしをたよりとして暮らしていた。苦しい時には、お米がいつでも宗助に、
「でもしかたがないわ」と言った。宗助はお米に、
「まあ我慢するさ」と言った。

やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口からしんとしていた。夫婦は例のとおりランプのもとに寄った。広い世の中で、自分たちのすわっている所だけが明るく思われた。そうしてこの明るい灯影に、宗助はお米だけを、お米は宗助だけを意識して、ランプの力の届かないくらい社会は忘れていた。彼らは毎晩こうして暮らしてゆくうちに、自分たちの生命を見いだしていたのである。

お米は自分の耳と頭のたしかな事を夫に誇った。宗助は耳と頭のたしかでない事を幸福とした。

宗助とお米とは仲のいい夫婦に違いなかった。いっしょになってから今日まで六年ほどの長い月日を、まだ半日も気まずく暮らした事はなかった。いさかいに顔を赤らめ合ったためしはなおなかった。二人は呉服屋の反物を買って着た。米屋から米を取って食った。けれどもその他には一般の社会に待つところのきわめて少ない人間であった。彼らは、日常の必需品を供給する以上の意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼らにとって絶対に必要なものはお互いだけで、そのお互いだけが、彼らにはまた充分であった。彼らは山の中にいる心をいだいて、都会に住んでいた。
自然の勢いとして、彼らの生活は単調に流れないわけにいかなかった。彼らは複雑な社会のわずらいを避け得たと共に、その社会の活動から出るさまざまの経験に直接の機会を、自分とふさいでしまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を捨てたような結果に到着した。彼らも自分たちの日常に変化のない事はおろおり自覚した。お互いがお互いに飽きるの、物足りなくなるのという心は微塵も起こらなかったけれども、お互いの頭に受け入れる生活の内容には、刺激に乏しいある物が潜んでいるような鋭い訴えがあった。それにもかかわらず、課レアRが毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日をうまず渡って来たのは、彼らが始めから一般の社会に興味を失っていたためではなかった。社会のほうで彼らを不亜T利ぎりに切り詰めて、その二人に冷ややかな背を向けた結果にほかならなかった。外に向かって生長する余地を見いだし得なかった二人は、内に向かって深く延び始めたのである。彼らの生活は広さを失うと同時に、深さを増して来た。彼らは六年の間世間に散漫な交渉を求めなかった代わりに、同じ六年の歳月をあげて、互いの胸を掘り出した。彼らの命は、いつのまにか互いの底にまで食い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互いから言えば、道義上切り離す事のできない一つの有機体になった。二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互いに抱き合ってできあがっていた。彼らは大きな水盤の表にしたたった二点の油のようなものであった。水をはじいて二つがいっしょに集まったというよりも、水にはじかれた勢いで、マルク寄り添った結果、離れる事ができなくなったと評するほうが適当であった。
彼らはこの抱合のうちに、尋常の夫婦に見いだしがたい親和と飽満と、それに伴う倦怠とを兼ねそなえていた。そうしてその倦怠のものうい気分に支配されながら、ジョ子を幸福と評価する事だけは忘れなかった。倦怠は彼らの意識に眠りのような幕を掛けて、二人の愛をうっとりかすます事はあった。けれども簓で神経を洗われる不安は、決して起こし得なかった。要するに彼らは世間にうといだけそれだけ仲のいい夫婦だったのである。

自分は門をあけてもらいに来た。けれども門番は扉の向こう側にいて、たたいてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、
「たたいてもだめだ。ひとりであけてはいれ」という声が聞こえただけであった。彼はどうしたらこの門の閂をあける事ができるかを考えた。そうしてその手段と方法を明らかに頭の中でこしらえた。けれどもそれを実地にあける力は、少しも養成する事ができなかった。従って自分の立っている場所は、この問題を考えない昔と毫も異なるところがなかった。彼は依然として無能無力にとざされた扉の前に取り残された。彼は平生自分の分別をたよりに生きて来た。その分別が今は彼にたたったのを口惜しく思った。そうして始めから取捨も商量も容れない愚かものの一徹一図をうらやんだ。もしくは信念にあつい善男善女の、知恵も忘れ、仕儀も浮かばぬ精進の程度を崇高と仰いだ。彼自身は長く門外にたたずむべき運命をもって生まれて来たものらしかった。それはぜひもなかった。けれども、どうせ通れない門なら、わざわざそこまでたどり付くのが矛盾であった。彼は後ろを顧みた。そうして到底また元の道へ引き返す勇気を持たなかった。彼は前をながめた。前には堅固な扉がいつまでも展望をさえぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。

お米は障子のガラスに映るうららかな日影をすかして見て、
「ほんとうにありがたいわね。ようやくのこと春になって」と言って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を切りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。